今から紹介する北原昭さんは、サンミゲール・アルカンジョ市のコロニア・ピニャール(通称福井村として知られる)植民地で活躍している一農人である。彼は徳島出身で力行会の戦後移住者であるが、新しい村造りを目指す福井村に共鳴し、同時にこの地が果樹栽培の適地と思い入植した。 彼は幾種かの果樹を試み、その結果、富有柿とウーバを主作とし本格的 ...
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ジャポネース・ガランチード=マリンガ 園尾彬
西銘光男氏と駒形秀雄氏の意見を拝読させていただき、私も少し意見を述べたいと筆を執りました。 1958年12月に19歳でブラジルに来た当時、このパラナ州マリンガ市の街を歩いていると、小さな子供達から「ジャポネース・ガランチード・ネ」と呼びかけられクスクス笑われたことが何回かありました。 何のことかよく分からず日系2世の同僚に尋ね ...
続きを読む »ガウショ物語=(25)=皇帝の伝令=<3>=慈悲深い陛下のお気持ち
また、別の折、車座になっておったのだが、一人が短刀で掌のトウモロコシの皮を伸ばして、編み煙草の一切れを刻み始めた。刻んだやつを掌のくぼみでよく捏ねてから、さっきのトウモロコシの皮で包んで巻き煙草にすると、自信たっぷりに陛下に勧めたもんだ。「ひとつ、いかがでしょうか」「いや、結構だ。その煙草はどうもきつそうじゃないか……」「いや ...
続きを読む »パナマを越えて=本間剛夫=75
「……父は日本では最高の学校を出ましたが、メキシコでは貧しい農夫でした。私たちが初級学校を終わったとき、前から考えていたアメリカ密行を実行したのです。ところが、国境のリオ・グランデ川を小舟で渡ろうとしたところで国境警備隊に見つかって逮捕されました。母が私たち二人を連れて三日間も逃げ回り、父がどうなったのかは分りません。農場の人た ...
続きを読む »『朝蔭』4月号
『朝蔭』4月号(第426号)が発行された。 巻頭「句帳」(念腹)、その一句「街路樹のアイチ茂りて道広し」、「雑詠 寿和選」その5句「駄々こねて歩かぬ孫抱き秋時雨」(林久美)、「耳に付く野犬の遠吠え明易し」(和田喜美子)、「釣堀の竿にトンボが来て止る」(森本孝男)、「まめに刈る夏草勢いよく伸びて」(山下志げこ)、「再生林ありて朝 ...
続きを読む »ガウショ物語=(24)=皇帝の伝令=<2>=陛下から秘密の特命授かる
万一しくじりを仕出かしたりしたら、ただでは置かんぞ! と言った。 何てこった!……しっかりとした足取りで、赤髭の前五歩ほどのところで直立不動の姿勢をとった。 すると老将軍が訊ねた。「今、話しているのは誰だかわかるかね」「皇帝様でありますか」「皇帝陛下、というんじゃ」「皇帝陛下!」 あの、いつも皆が噂をする皇帝だったのか。皇帝は ...
続きを読む »ガウショ物語=(23)=皇帝の伝令=<1>=パラグァイ戦争で従卒に
一八六五年のパラグアイ戦争のとき、皇帝ドン・ペドロ二世陛下がご自分の親衛隊を引き連れてこちらにお出でになって、そのときに、わしは牧夫としてあるいは伝令として、それから忠実な従卒として一緒に歩き回ったもんだ。陛下の馬に馬具をつけることや、寝所の入り口に横になって張り番をしたり、大切な書類や武器を運んだりした。 どんなわけでそうな ...
続きを読む »パナマを越えて=本間剛夫=74
「私も父からです。そのあとはメキシコ・シチィの日墨協会の日本語コースです」 アンナが続けた。 それから相互に構えた障壁が取り除かれたように見えた。「お父さんが日本人だったのですね」「そうです。母はメキシコ人でした。この戦争には自発的に参加しました。父の国と戦うことで私たちの生国に忠誠を示すためでした。それはアメリカでもブラジルで ...
続きを読む »パナマを越えて=本間剛夫=73
副官室では副官の左右に庶務課長と粟野中尉が控え、副官の正面に椅子が二脚並んでいた。私が気づかぬうちにエリカはいつの間にか眼帯を外していた。「連れて参りました」 エリカとアンナは並んで、例のように掌を相手に向ける挙手の礼をした。答礼したのは粟野中尉だけだった。「答礼しないのは。失礼です」 ゆっくり、しかも強い調子でエリカが日本語 ...
続きを読む »ガウショ物語=(22)=雌馬狩り=<3>=「無茶苦茶にいい気分さ!」
そこで男たちは群を両脇から押していった。本当の楽しみはこれからなんだ! 中でも足の速い馬を三頭、四頭、五頭も一まとめに駆り立てる、そして休む間も与えずに六レグアも一〇レグアも、一二レグアも走り続けさせる……そんな後でも、わし等はまだまだ元気いっぱいだった!…… 無茶苦茶にいい気分さ! マテを飲み、雌馬どもを走らせる、これに代わ ...
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