ブラジルの農業移民は、ドイツ人もフランス人も日本人も、農業省の管轄下にある移民会社から割り当てられた耕地で、苦難なコロノ(小作人)として十余年、牛馬のように働いて独立農としての資金を蓄える。その実態は一般市民の遠く及ぶところではない。 まず、朝食前の暗いうちにその日の作業場まで数キロの道を農具を担いで歩くと、そこで持参の朝食を ...
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パナマを越えて=本間剛夫=3
「つらいから、見送りませんよ」という夫妻が、早く帰ってね、と繰り返した。車が走り出しても二人が手を振ってるのが見えた。 大通りは、もう車の列だ。車が桟橋に入ると遥か突端に、日の丸を掲げた黒い貨物船が見えた。 タラップを上ったところにボーイが立っていて、私を船長室へ案内した。 そこに日本人の紳士がいて、一人の眼が、すごく鋭かった ...
続きを読む »パナマを越えて=本間剛夫=2
なかには永住の覚悟で大農場の農夫として汗を流している知人、友人が、グループを組んで戦争に参加するというニュースを邦字新聞で知らされると、自分は卑怯者ではないかと強くさいなまれたが、それでも固く瞼を閉じて耐えた。 翌年、満十九歳になったとき、私は在外の男子に許されている三十七歳までの徴兵延期願いをサンパウロ市駐在の日本総領事宛に ...
続きを読む »パナマを越えて=本間剛夫=1
「旅券を持って、来てくれ」 朝、まだ早いのに、店長からの電話だ。 彼は早口にいって電話を切った。用件を訊くいとまもなかった。一瞬、不可解な電話を反芻した。旅券を持って来い、というのには海外出張に違いないが、それにしても。単なる出張なら、まだ夜明けまでに一時間もある暗いうちに、電話でもあるまい。 カーテンをあけて窓の外を見た。 人 ...
続きを読む »花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=75・最終回
目が見えないのは目の前の蛇に怯えないという諺と同じく、私の低能さは怖さをしらず前に進み生きてきてそのぶん失敗も多く、その失敗により現在の生き様があることにようやく気がついたことはあまりにも遅すぎである。 「目に見えぬ赤い靴はき生れし子が養母に抱かれしごめんとう名の駅」と歌ったが、目に見えない赤い靴を履いて生まれたゆえとは言え、 ...
続きを読む »花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=74
しかし、この言葉は私たち花嫁には礫となり飛んできて辛い言葉に長くなりました。先に書きましたコチア青年花嫁五〇周年記念祭を境に、言葉の礫はおおかた無くなり、花嫁移民ですと平気で言えることができているようです。 おお方の花嫁が辛苦を舐め耐えぬいて、現在「この国に来て良かった」と口を揃えて言い、私もやはり同じ思いを日々重ねていると言 ...
続きを読む »ピンドラーマ12月号
コジロー出版社のブラジル情報誌『ピンドラーマ』12月号が発刊された。 「ブラジル版百人一語」「クラッキ列伝」「さんぱうろぐるめうをっちゃー」「ブラジルキリンイトゥー工場見学」など。サッカー、グルメといった毎月のコーナーも掲載。 問い合わせは同出版社(11・3277・4121)まで。
続きを読む »花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=73
私たちはこのような理解ある温かいことばを聞けるまで何十年かかっただろうか。このことばを素直に喜びたい。 毎年十一月第四日曜日は、小南ミヨ子氏の送り出した花嫁移民「ききょう会」の忘年会である。これに出席のため千五百キロ、二千キロ先から、もう若くない花嫁たちが集まってくる。 小南ミヨ子女史の送りだした花嫁の会「ききょう会」に参加さ ...
続きを読む »花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=72
五十年前、移民船は蚕棚式の船室で、五十数日の船旅をしてブラジルにきた第一回目の十二人の花嫁で今年金婚式を迎えられたのは五組。二十歳前後で移住した花嫁も二人他界したとのことである。 金婚式の花嫁はもうみんな七十歳代に入っているが、それでも厳しい移住生活にたえ生き抜き恵まれた老後のいま、力強い確りした声で挨拶をした。 花嫁を代表し ...
続きを読む »花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=71
「ラテン系は美しく、惹かれるものはありますが」と言い、「男性が若いうちはいいが、年齢とともに体力、精神力ともに弱さが出てくるし、食事にしても日本食を恋しくなりますから」と語っている。 ことに体調を崩した時など、日本人なら白かゆや、おじやなどが欲しいはずで、それを病人自身が作らなくてはならないのは辛いとも書き、また「彼女たちは経 ...
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