私が仲居やホステスになっていれば、料亭やバーで働いている女性達が仲間としてかなり詳しい事情を打ち明けたであろうが、私は彼女たちの仲間ではなかった。 美顔術が縁となったある既婚者で二人の男の子の母親でもあり、もう四十歳近い年齢で安心して話ができた高野美知子は、 「前にね、主人の仕事が上手くいかず、私が働くより仕方なくてねえ ...
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花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=39
蚤の攻撃は夜毎にあまりにも酷く、私はリベルダーデ広場にある高層アパートに住む未亡人が、内職にしているペンソンに移った。ここでは、作りたければ台所を借りて料理を作ることも許され、OLの若い娘達は、簡単なものばかりだったが、作っては交換しあった。このペンソンに住む娘たちも、地方からの学生とOLであったが、建物が新しいこともあって蚤 ...
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単身移民をした青年であったから、こうした不幸がなければ、やはり日本から花嫁を呼び寄せて家庭を築いたに違いない。みな自分のことで精一杯で、それきり彼は同船者たちの話題にあがらなかった。 日本人の顔はしているが日本人ではない人達がこの国に生まれ育っていて、言葉の不自由な新来移民を食い物にしたのである。私もこのあとすぐに騙された。私 ...
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ペンソンでは、二段ベッドを二つ置いた四人部屋で、こういうのを「バーガ(場所)を借りる」と言うらしいが、この頃、私はその呼び名を知らなかった。 窓側に机が、ドア側に洋服タンスがあった。寝ると蚤に襲われた。蚤はペンソン備え付けの布団の綿を止めている糸目に潜り込んでいて、寝る前と朝起きたら捕るのだが、いくら捕っても尽きることがなかっ ...
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ブラジルでは総て、エディフィシオ(アパルトメント)と呼び、豪華であればこちらが勝手に「あそこは、パラシオ」と呼ぶのである。私が紹介されて行ったパラシオは、家なら二階建てと表現できるが、アパートの場合は何と呼ぶのであろうか、二階と三階ひっくるめて一軒分のアパートであった。二階から三階へ行くための個人のエレベーターもあった。とにか ...
続きを読む »楽書倶楽部25号
随筆集「楽書倶楽部」第25号が日毎叢書企画出版から発行された。 「民にとって国とは何か?」(中村勀)「森中の道」(小野寺郁子)「ちょっと歴史を思う」(宮村秀光)「アマゾンの植物誌22」(醍醐麻沙夫)「教会と日語学校」(瀬尾正弘)など随筆作品に一口雑学、川柳、ピアーダほか。 問い合わせは同出版(11・3209・4954)まで。
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そんな同船者を、私は次々と松岡家に連れて行った。春子の人柄に安心していたからであり、春子も大きく受け入れて、昼食を度々振舞ってくれたりした。旅行者や駐在員ではなく新来移民と分かれば、移民という連帯感と、来たばかりの若い移民に対する哀れみからか、一応成功した先輩移民達の多くが、そんな若者を食事に呼び相談にのり、また仕事を世話した ...
続きを読む »『椰子樹』
椰子樹9月号(362号)が刊行された。 「わが愛する歌人(14)釋迢空(しゃくちょうくう)」(岡野弘彦)、講演「日系社会の現状と将来」(宮尾進)、題詠「平和」独楽吟「…なきぞかなしき」、作品集ほか。
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その日の大使夫人の横柄な態度に、裕次郎が立腹し、 「おい、お前さんこの家の女主人らしいが、ここじゃ大層な家に住んじゃいても、日本に帰りゃ長屋にでも住んでるんじゃねえのか。ここでいい思いができるのも、ここにいる国民の払っている税金のお陰だろうが。勘違いしちゃいけないよ、いったい手前が何様だと思ってやがるんだ。こんなところで水一杯 ...
続きを読む »ピンドラーマ、10月号
コジロー出版社のブラジル情報誌『ピンドラーマ』10月号が発刊された。2006年6月に創刊し、今回で100号を迎えた。 「ブラジルビジネスで失敗しない秘訣」「ブラジル版百人一語」「さんぱうろぐるめうをっちゃー」「大統領選の行方(3)」など。サッカー、グルメといった毎月のコーナーも掲載。 問い合わせは同出版社(11・3277・41 ...
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