といってもブラジル人成功者の娘との縁も簡単なものではなかったはずで、簡単に親しくなれるのは日雇い人夫の娘であり、その虜になって結婚した青年も居たかも知れない。ブラジル人の娘のなかには実に魅力的な美しい娘がいるのだから。しかし、おおかたの青年が、「成功するまでの辛抱を分かち合い、共に耐えて生き抜いてくれるのは、祖国日本からくる花 ...
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花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=27
次女の時代は、サンパウロ大学法科出の才媛であったが、勤めを止めて春子の花舗を手伝っていた。彼女いわく、 「日本の女は、饅頭ひとつ作れん、鶏は食べるのに絞めるのは怖いと、可哀想だとよ」と言い、鼻の頭と唇の端で笑った。 一九六七年の秋、時代は春子の反対を押し切って一世の青年と結婚をした。農業移民で来たが、重労働に背骨を傷めて続けら ...
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松岡家は大家族で移住したらしく、兄弟のそれぞれが、独立して成功しているということが慣れるにしたがい分かり、出会うその成功者の誰もが土佐弁であり、土佐を全く知らない二世の息子や娘にいたるまで土佐弁で、大阪弁しか使えなくなっている私は赤面するばかりだった。 春子の孫達はまだ六、七歳だったが、一つのコロニーをなしている土佐弁の中で育 ...
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女傑と言われる松岡春子の自宅はアルト・ディ・ピニェイロス区にあった。夜になって連れて行かれたために、どの様な区内かは判断出来なかったが、一夜明けて門から出て眺めると静かな住宅街であり、一軒一軒瀟洒に作られた邸宅ばかり並んでいた。このころ名前を知らない復活祭の頃に花が咲くので、アレルヤと呼ばれる街路樹が道に覆いかぶさり両の歩道に ...
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この道を多分、この辺りに住む人たちは常に往来して買い物などをしているのではあるまいか、パスポートなど必要なく。それを利用した密輸やテロなどが無ければ、全世界がこうありたいものと単純な私は思った。中東で絶えず紛争があり、北朝鮮に問題がある現在では、誰もが同じようにこんな平和を望むであろう。 草原の中の道を真っ直ぐに走り続けるバス ...
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もう一人の従弟は、その兄ほどには親の労働力のため犠牲にならなかったのか、高校へ進んだこともあって、一家が日本に引き上げ帰国した後も、 「六歳で親に連れられて移民して日本語も、字もろくに読み書き出来ない」のでと、モンテヴィデオに残り、葬儀屋の前で花屋を経営し、地方の元「ミスりんご」だったか「ミス葡萄」だったか、ともかくドイツ系の ...
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高田老夫婦、若夫婦、池田夫婦、山本夫婦とその親戚一同が、私の従兄妹同士の結婚に不安の意を示し、また紅熱病のためにこうなったと説明している知的障害の従妹のこともあって、私はモンテヴィデオに来て一月半月で正式に離婚した。高田家の縁戚である民子さんが、サンパウロ市から六十キロ離れた郊外ジュンジアイ市の、苺栽培農家へ嫁入りするため、三 ...
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句集『蜂鳥』320号が刊行された。 「蜂鳥集」より3句「お別れの握手する手の冷たさよ」(川上淳子)「朝のパンほんのり焦がし燕くる」(那須千草)「無骨なる無言の握手移住祭」(平間浩二)、特別作品「春の人」(間部よし乃)、「珠芽の呟き」(若林敦子)、旅吟「バンクーバー」(篠崎路子)、「添削コーナー」(広田ユキ)ほか。
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花嫁移民とう言葉も知らず日本へ 娘は嫁ぎしと草原(パンパ)みる母 草原の虹を飛び越え日本へ 地球は狭いと娘は嫁ぎしとう 花嫁移民で来た母には、逆に花嫁移民で日本へ行ってしまった娘の勇気を、若き日の自分に重ね、夫よりも深い感慨があることが私にもよく分かる。 話がずいぶん飛んでしまったが、高田家から私が一人で街へ出かける事は、 ...
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抱いている児の他に、年子らしい子が四人テーブルにつき、コップに入れてもらうコカコーラが、「あの子が少し多い、あっ、入れすぎた、あっ、少ない」とキー、キュー叫んで、ふた親を困らせることが、一人娘で育った私には興味深かかった。 「埼玉県にまだ両親がいるけれど、こんなでは、日本に行くのはまだまだダメ、いつ行けるやら」と言って溜息をつ ...
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