「従兄同士の結婚は、私ら最初から反対じゃった。籍を抜いてブラジルへ行きんさい。困らんようにサンパウロで落ち着く所ば紹介もするとよ」とぼつぼつと言って、私を勇気つけてくれた。 いま熊本弁でそれを書こうとしても、熊本県人でない私には無理である。しかし高田家の人々を思う時、熊本弁を外してはあの温かさが遠退くような気がする。 南半球の ...
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花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=18
当時この京野さんは六十歳を出た位だっただろうか。高田家で一ケ月余りお世話になった間に、京野さんが私に話しかけたことで覚えているのは 「ここいらのピオン(日雇人夫)が鍬をもって歩いている時は離れていなさいよ、用便に行く時だよ」という言葉だけだった。孤独でいるのが好きなのか、食事が済むと高田さんの家族から離れた。 「独りで英語の本 ...
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あくる日、「簡単な仕事じゃきに、これでも手伝ってもらおうかの」と叔母の言葉に促されて温室にはいると、カーネーションの咲いたもの、咲きかけたものや、まだ硬い蕾などのこもった匂いが全身にしっとりと染みついてしまう気がした。 カーネーションは真っ直ぐな茎に一つの花を咲かせるために、ピンポージョと呼ばれる横に出ている蕾みや芽を毟り取る ...
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翌朝、「お手洗いはどこですか」と聞くと、臨時の住まいなのでトイレは無いと言い、案内されたのは、汚物の見える直径二十センチほどの穴のあいた、そこが元トイレだと分かる所だった。それをどう使うか考え込んだが、この家の家族はこの穴を使わず、家の横手にある何処へつづいているか知れない三十センチばかりの細長い溝、下水溝と考えられるをトイレ ...
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「いま叔父さんから歓迎会だと聞きました。歓迎会で結婚指輪を貰うのもおかしいし、考えなくてはいけない結婚だと気が付きましたので、その指輪はお断りいたします」 結婚を断って言葉も解らない国で、どう生きるかなどということは頭に浮かんで来なかったし、所持金のことにも思いは至らなかった。ただこの結婚を断らなくてはならないと、それだけが思 ...
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大阪の叔母が、叔父の言いかけた言葉を止めたのは、このことだったのだと目の当たりにしたのである。 港からカミノ・デル・フォルチンという通りまで、どれ程の距離かいまも知らないが、街から出て車は草原の中の道を走った。 叔父の家に着くと、三ヶ月前に強風が吹きユーカリの大樹が倒れて、住んでいた家は真っ二つに割れたとのことで、その大樹を指 ...
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ブエノスの街のどこへ連れて行かれたのかは分らないが、裏町の狭い石畳道の両側に商店の並んだゴミゴミとした所だったこと、その店舗裏の暗いじめじめしたイメージが今でも思い出される。 海抜のほとんどないブエノス・アイレスは「湿気が八十パーセントよ」とウルグアイに着いてから間もなく聞いた。それが本当かどうかは分からないが、晴れた日が続い ...
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見える人にはこの性格は分かったであろうが、寂しさゆえにか人を疑う事を知らず、単純であり,甘えたがり屋だったと、今はその頃の自分の心の姿を言えるが、まだ若い私にこんな自分の姿が見えるはずもなく、実に無防備のまま生きていたのだった。 第五章 赤い靴 ② 実母の妹である大阪の叔母が話題として、 「ウルグアイの一志ちゃんの嫁さんを探し ...
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それから一年ほどしたある日、この叔母の家を訪ねると、パラグアイからウルグアイに再移住したというもう一人の叔母で、実母のすぐ下の妹一家の話が出て、「ああ、あの中学の時の南米へ行ったおばさんの一家か」と思い出したのだった。 十七歳の時、養母がおそらく六十歳くらいで逝き、二十一歳の時、養父が八十四歳で逝き、私はたった独りで生きてい ...
続きを読む »勝ち負け小説『イッペーの花』=元サ紙記者紺谷さんが上梓=ニセ宮や桜組挺身隊に焦点
「アンタには、宮様の血が流れとるがやちゃ」――子供の頃、おばあさんのつぶやいたそんな一言が心の奥底にひっかかっていた達也(主人公)は、彼女の死に直面した機会に、自らのルーツを確かめにブラジルを訪れる。そんな不思議な場面から始まる小説『イッペーの花』を、元サンパウロ新聞記者で、現在札幌在住のジャーナリスト紺谷充彦さん(49、富山 ...
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