ニッケイ新聞 2013年8月8日 『ブラジル日系文学』第44号が発行された。 中田みちよさん、古川恵子さんによる2012年のジャブチ賞小説部門受賞作『Nihonjin』の全日本語訳第1回(全7回)、著者中里オスカール氏のインタビューの翻訳、醍醐麻沙夫さん著『夜の港』のポ語翻訳のほか、特別寄稿『シベリア抑留者に対する特別給付金 ...
続きを読む »文芸
連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第137回
ニッケイ新聞 2013年8月14日 日本から運ばれたきたものを自分たちで使うのではなく、文子は売って生きながらえようと考えていた。 午前八時になると、車で案内員が迎えに来た。見たこともない車はソ連製のジープを真似て造った共和国製の「更生六八型」という車だった。 仁貞の滞在期間は二週間だったが、会えたのはその一晩だけだった。 ...
続きを読む »ピンドラーマ、8月号
ニッケイ新聞 2013年8月10日 コジロー出版社のブラジル情報誌『ピンドラーマ』8月号が発刊された。 「ブラジルで活躍する日本人」では、餃子販売事業を手がける有限会社SHINWA副代表、足立和子さんを紹介。その他、デモの話題を取り上げた「ブラジル社会レポート」など。サッカー、グルメといった毎月のコーナーも掲載。 問い合わ ...
続きを読む »連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第138回
ニッケイ新聞 2013年8月15日 エスペランサ 小宮清一と東駅叫子は結婚届けをカルトリオ(登記所)にまだ提出していなかった。日本のように署名と捺印だけで結婚届けがすぐに受理されるのではなく、まず市役所官報に二人の名前が告示された。一ヶ月間、二人の結婚に異議を申し立てる者がいないかの確認が行われ、異議申立人がいないことが明らか ...
続きを読む »刊行物『楽書倶楽部』
ニッケイ新聞 2013年8月29日 随筆集『楽書倶楽部』第19号が刊行された。 「六月のデモ」(中村勉)「熱情」(広川和子)「鳴門市とドイツ館」(瀬尾正弘)「ぼんやり婆さん」(彭鄭美智)ほか。 問合せは日毎叢書企画出版(11・3209・5228)まで。
続きを読む »連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第111回
ニッケイ新聞 2013年7月6日 「明日から朝食は私たちと一緒にこっちの部屋で摂ればいい。用意ができたらドアをノックするから出てきて食べるように。昼食はこの容器に入れて用意してあげるから、それを会社に持って行きなさい。夜はあなたの部屋に用意しておくから、夜間中学から帰ってきたら食べるように」 叫子が明日からの生活について説明し ...
続きを読む »連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第127回
ニッケイ新聞 2013年7月31日 「日本は勝った」と異様な熱気に包まれた日系社会で、負け組の人々は「非国民」と罵声を浴びせ掛けられ、命を狙われた。そして一九四六年三月七日午後十一時三十分頃、バストス産業組合専務理事の溝部幾太が、バストス市街地にある自宅裏庭で背後から拳銃で撃たれ死亡した。 その後も、勝ち組によるテロの嵐が吹 ...
続きを読む »刊行物『余暇』第5号
ニッケイ新聞 2013年7月3日 中田教室(中田みちよ主宰)による文集『余暇』第5号が発行された。 「電車男」(大塚トミ子)「立ち退き」(杜かほる)「誕生日と命日の関係」(空出木)「マンガ」(山本紅)など生徒らによる作品のほか、中田主宰による特別寄稿「ジョアン・アントニオ」等が収録されている。全296頁。
続きを読む »連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第112回
ニッケイ新聞 2013年7月9日 それが終わると、次に整備するオートバイはどれなのか小宮に聞いてくるようになった。 「どこまで続くか見ものだな」 竹沢所長は半信半疑だった。 複雑な整備技術が求められるオートバイが持ち込まれ、それを小宮が整備する時などは、パウロは一番前にきて、何も見落とすまいと真剣そのものだった。ノートも手 ...
続きを読む »刊行物『蜂鳥』
ニッケイ新聞 2013年7月5日 句集『蜂鳥』第24巻第313号が刊行された。 「蜂鳥集」から3句、「乙女等の弾ける笑ひ鳳仙花」(林とみ代)「母の日や貰って嬉しやるもよし」(佐藤節子)「数々のパンに目移り春の旅」(堀百合子)、「母」(近藤玖久子)「春の旅」(田中美智子)ほか。
続きを読む »