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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第59回

ニッケイ新聞 2013年4月23日 「それはそうだが、幸代、おまえ、まだ箱根と続いているのか」 「うん、付き合っているわよ」 「そうか」 「マルクス主義による社会の創造が可能かなのかどうか、実際のところ私にはわからない。でも、そこに夢を託すしかないのよ」  幸代はかなり早いペースでビールを煽り、しまいには日本酒をあびるように飲ん ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第58回

ニッケイ新聞 2013年4月20日  しかし、幸代の気持ちは沈んでいくばかりだった。 「俺、昨日、いいバイトがあって、今日は少し金の余裕があるんだ。軽くならおごるけど」 「授業はいいの」 「危なくなったら、例によって幸代のノートを借りるから大丈夫さ」 「そう、じゃあ、今日はお言葉に甘えて、児玉君におごってもらうわ」  二人はその ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第57回

ニッケイ新聞 2013年4月19日 「それでは革命が達成されるまで在日は差別に苦しみ、山村政明と同じような犠牲者がまだ出るということになる。そういう教条主義が山村政明を自殺から救えなかった一因ではないのか」 「自殺は民青が在日の解放を視野に入れない運動を……」 「在日の解放を視野に入れている革マルが何故、山村政明の自殺を救えなか ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第56回

ニッケイ新聞 2013年4月18日 「幸代の家族は北に行ったのか」  期待して入った朝鮮統一研だったが、幸代は次第に身の置き場に困るようになった。明らかに場違いといった視線で彼女は見られた。  朝鮮統一研で話題になるのは、朴大統領の軍事独裁政権に対する批判や、韓国留学中にスパイ容疑で逮捕された在日二世の救援活動についてだった。北 ...

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刊行物『椰子樹』

ニッケイ新聞 2013年4月17日  短歌誌『椰子樹』3月号(35号)が刊行された。  「作品 小池みさ子選」から3首「移民して百年すぎても邦人は祖国偲びて新年祝う」(古山孝子)、「ノーベル賞山中さんの受賞式世界の医学に輝く希望」(上口誠一)、「ダイヤ婚迎える夫に肩をかし二人で歩む今日の幸せ」(青柳ます)、「わが愛する歌人(8) ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=55回

ニッケイ新聞 2013年4月17日  一通りの紹介が終わってから幸代は、一人の学生から声をかけられた。 「幸代さん、もしかして横浜田奈中学校の卒業ではありませんか」 「そうですが」 「やはり思った通りだ」  自己紹介の時、ほとんどの者は自分の出身高校を名乗った。幸代もそうした。出身中学には触れてはいない。声をかけてきた学生に見覚 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第54回

ニッケイ新聞 2013年4月16日  しかし、彼女は東大ではなく早稲田を受験することに決めた。授業料は全額免除の大隈奨学金を取ればいいと思った。早稲田に進もうと思ったもう一つの理由は、韓国文化研究会、朝鮮統一研究会の二つのサークルが存在したからだ。  幸代は大学に進んだ在日の先輩からそのことを聞かされていた。韓国文化研究会は韓国 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第53回

ニッケイ新聞 2013年4月13日  家に残されたものと言えば、食器に鍋、釜、布団に衣類で母娘が最低の生活を維持するだけのものしかなかった。 「進学費用のことは心配しなくていいわ。私も奨学金を取るから」  幸代は神奈川の名門、県立S高校に五本の指にはいる上位の成績で合格、約束通り育英会の奨学金を獲得した。生活費は仁貞の内職や日雇 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第52回

ニッケイ新聞 2013年4月12日  こうなったら話し疲れるまで仁貞は止まらなかった。母親のこの性分には慣れているはずの幸代も辟易した。総連の係を口汚く罵る母は、幸代にはしつこいというよりもくどいとしか感じられなかった。  仁貞の怒りが治まった頃、幸代が聞いた。 「アボジ(お父さん)たちの居所はどうすれば調べてもらえるのかしら」 ...

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刊行物『朝蔭』

ニッケイ新聞 2013年4月12日  俳誌『朝蔭』3月号(第401号)が刊行された。  「雑詠 寿和選」から4句「小春日に駅まで歩くちぎれ雲」(陣内治恵)「人類の滅亡はずれ大昼寝」(秋村蒼一郎)「初鏡覗ひて驚く皺の顔」(木村都由子)「買初は老いの目薬サロンパス」(田中保子)「今年の酉年会」(纐纈喜月)「夏の午後」(城田みよし)ほ ...

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