ブラジルの地域別の特色や、コーヒー、大衆音楽フェイジョアーダなどブラジル文化の魅力を短歌と共に紹介する『ワンダーランド ブラジル 5つのエリア 未知なる素顔と7つの魅力』(田所清克、玉川裕子著、261頁、角川文化振興財団)が出版された。 著者の田所氏は京都外国語大名誉教授でブラジル研究の第一人者。玉川氏はブラジルのサントス商 ...
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(179)
カルドーゾ・メーロ署長の報告書によると、8月22日、マセード・ソアーレス・サンパウロ臨時行政官に当てられた公文書には「ドゥトラ大統領は8月10日『望ましくない日本人を国外追放した』」という大統領令にサインした。しかし、同じ公文書には臨時行政官がそれを軍事裁判所にまわすようにと記されていた。それは1938年5月18日に発令された ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(178)
このような話のもっていきようは正輝の心を捉えた。はじめに、とうてい信じられようもない神話を取りあげた。だが、次に「生長の家」の創立者はその神話に基づき、日本の国がどのように誕生し、日本人の思考がどのように形成されていったかを説いた。正輝が一番読みたかったことなのだ。そのうえ、その書は「八紘一宇」つまり、天下、全世界を一つに家に ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(177)
谷口先生は他の宗教とちがって、「生長の家」が宗教でないということを主張された。したがって、ほかの宗教を信じる者を批判することはなかった。「『生長の家』は歴代の宗教を批判することはない。それどころか、各家庭で継続してきた宗教に従って、先祖をともらうべきだ」と著書に書いている。 「全ての宗教は世に光明をもたらすべく生まれた。いろ ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(176)
それは正輝が求めていた行動や思考だった。だからこの宗教団体が発行する書物を手に入れようとする読者が増えていくのは時間の問題だった。谷口の書物を手にしたとき、正輝は大きな衝撃を受けた。1920年以降、宗教関係の本を出した著者は日本精神、いわゆる大和魂を高く評価していた。「生長の家」の書物は強い愛国心を謳った日本精神について書かれ ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(175)
供え物が並べられた仏壇に一人3本ずつ線香(沖縄語でウーコー)を立てた。家族は手を合わせて祈る。まず、家長、つづいて妻、次に年上から順に息子、そして娘と順序が決められていた。末っ子のジュンジは一人ではできないので、房子が線香を立てた。 それが終ると、供え物がさげられる。それを沖縄ではウサンデーといった。 さげるとき深々とお辞 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(174)
ほとんどがアララクァーラ在住者で、法務所の要請に従い、6月27日、DOPSの署長は市の警察にその責務を命じ、当地警察は彼らにブラジル生まれの子弟がある証拠を届け出るよう要請した。要請に応じ、担当者はすぐに書類を提出した。 8月5日、アララクァーラのヴィリアット・カルネイロ・ロッペス警察署長はそれらの書類をDOPSに送った。9 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(172)
独裁政治、新国家体制の崩壊により、選挙が再開されることになり、選挙説明のキャンペーンがいろいろな学校で行われた。熱心な候補者が投票者を確保しようとマッシャードス区にやってきた。なかのひとり、ジョゼー・サントス技師は市長に立候補していた。知名度が高くなってきた「アデマール医師の党」とよばれるアデマール・ペレイラ・バロス党首の社会 ...
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独裁政治、新国家体制の崩壊により、選挙が再開されることになり、選挙説明のキャンペーンがいろいろな学校で行われた。熱心な候補者が投票者を確保しようとマッシャードス区にやってきた。なかのひとり、ジョゼー・サントス技師は市長に立候補していた。知名度が高くなってきた「アデマール医師の党」とよばれるアデマール・ペレイラ・バロス党首の社会 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(171)
恥が気がかりの原因ではない。自分らしさを見つけるきっかけにさえなった。敗戦を認めることが世界観を変え、自分や家族の生きる道標を変えた。まずはじめに1945年の8月から彼をあざ笑っていた敵の方が実は正しかったと認めること。 認めたあと、どのような態度をとるか、よく検討すること。今となっては帰国の夢をはたすのは不可能で、ブラジル ...
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