6月はじめ、アメリカ軍は牛島が設定した防衛線を突破、島の南方に前進した。彼らは正輝が生まれた新城や房子が生まれた玻名城の近くを通って具志頭に侵入した。 日本軍の抵抗は皆無といえた。降伏することは軍人の恥とみなされ、とくに上位の軍人ほどそう思っていた。敗北がはっきりしたとき、牛島中将と上官の張勇参謀長は割腹自殺した。何百人もの ...
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(129)
1944年10月10日、正輝夫婦の次女、ヨシコが生まれる何週間か前、沖縄の中心市街地、那覇がアメリカ軍に猛烈な爆撃を受けた。5回にわたる襲撃だった。アメリカ軍は太平洋を日本の南と東、つまり、2方に向けて航空母艦を進め沖縄に合流し、その母艦から飛び立った戦闘機で襲撃したのだ。 中国奥地の基地から飛び立った200機にもおよぶ戦闘 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(128)
日本政府のプロジェットは「八紘一宇」という名のもとに日本一国が世界を司る。「八紘一宇」が実現した暁には世界に平和をもたらすことを彼らは認識していた。 グループが手にする情報は軍事政権の公式発表で、太平洋や他の地域の敵軍の勝利や連合軍の進出はすべて隠蔽されていた。だから、彼らが頭にえがく様相は現実と全くかけ離れたものだ。太平洋 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(127)
隙間から小鳥が逃げないよう細心の注意を払って手を突っこみ捕まえる。そのあとニコリと微笑む。彼のいちばん気に入りの小鳥の種類はサビア、ズキンマヒワ、キンノジコ(カナリアの一種)テイエテ、アメリカウズラバトなどのように鳴き声のいい小鳥だった。 まだ、幼いのに、小鳥の種類を見分けた。兄や隣の家族の子どもに教えられていた。雄のテイエ ...
続きを読む »絵本「私のアマゾン」刊行=陣内すまさんが民話や料理紹介
アマゾナス州マナウス市在住の陣内すまさん(本名・陣内節子さん)が、アマゾンに関する絵本「大蛇の住む森 私のアマゾン」を日本の啓正社から刊行した。アマゾンで50年生活する陣内さんが、アマゾン川の魚や料理、民話などをまとめ、絵は画家の故・ヴァン・ペレイラさんが担当している。 陣内さんが絵本の作成を企画したのは2年前。「アマゾンの ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(126)
それは毎日、果たさなければならない義務だった。いや、毎日ではなかったかもしれないが、子どもたちは懸命にその義務を果たした。日曜日は、楽しみの日だ。学校にいかなくてもいいからだ。両親が朝市に行く日でもあった。だから、両親の監視下におかれることがない。思い切って遊べる。 日曜日でも、家族の習慣で朝、早く起きた。ただし、週日のよう ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(125)
また、もう一方の西部攻撃隊はニューギニア島の南東に向かった。そこは2年ほど前、珊瑚海、ガダルカナル戦で日本軍がアメリカ軍を破ったところだ。アメリカ海軍はギルバート諸島の西から南東‐北西に進路をとり迅速に島や重要な基地を次々占領していくという飛び石作戦を行った。 1944年5月、この攻撃隊はニューギニア島の北西を占領しフィリピ ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(124)
しかし、日本が航空母艦からの長距離攻撃ができなくなったことで、アメリカは陸、海、空統の統一された作戦をはじめ、「島から島へ」というアメリカ軍の新たな戦略をとった。目的はその地を取り返すことではなく、東太平洋地帯に前進する船や飛行機の発着の基地にすることだった。 日本はすでに大半の商船団を失っていた。そして、軍の艦隊もアメリカ ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(123)
二人は薬局できちんとした手当をうけさせようとネナをかかえ、町へ走った。だが、薬局の者でさえどうにも手に負えない状態で、すぐにサンタカーザへ向った。結局、簡単な手術を受けなければならなくなった。指を切り開いて膿みをとり、管を入れ中を消毒する。ガーゼ、包帯などは毎日とり替える必要があるが、それはうちででもできる。手当ての最中に爪が ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(122)
ネナは自分の立場を受け入れていた。まだ6歳だったばかりでなく、たとえ反発しようと、どうすればいいのか分らず、ただ、自分の与えられた立場に従うしかなかったのだ。すでに学校に通ってはいたが、体が小さく、農作業はできなかった。家事をしたり、家族全員に食事を作ったり、5歳のセーキ、2歳のミーチ、何ヵ月かのツーコの面倒をみた。子どもの面 ...
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