もっとも、正輝はこれらの作業をほんの一日で覚えてしまった。保久原家の本格的なコーヒー畑の仕事はいよいよ明日から始まる。 カンカンと耳障りで、しつっこい鐘の音で起こされた。時計はなかったが、早朝であることはわかっていた。4時かそれとも5時か?、どっちにしても大差はない。まっ暗でいつもどおり寒かった。眠かったがどうしようもない。 ...
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(38)
ウシが家を掃除するのにほうきを作ろうとしているあいだ、男二人は薪を探しにでかけた。そして、それまで気づかなかったのだが、家の後ろは下り坂で、川岸までいけることが分った。そこにはまだ原始林があった。コーヒーの海原に残されたわずかな自然林だ。そこで、何日か分の薪を手に入れることができた。 もう少し寝心地よいベッドにしようと考えた ...
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当時の状況からして、情報が流布するのは困難なはずだが、しかし、サンパウロ州指折りの旧家だったサン・マルチニョ農園の主が、カンピーナス農務局が25日の明け方の最低気温がマイナス1・5度と記録していたことを知らないはずはなかった。(カンピーナスは正輝が汽車で通って強い印象を受けたジュンジアイの次に通った町だ)。ふつう成樹が耐えられ ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(36)
断片的にせよ、故郷の新しい情報にはちがいない。以前からの入植者のなかに、保久原と村は違うが同じ地域の具志頭村(沖縄の方言でグシチャン)からきた新垣という男がいた。二人には共通の話題があり意気投合した。彼は樽にピンガという酒をすすめながら、「沖縄の泡盛に似ています。サトウキビからできる酒です」と説明した。 この出会いを喜んだの ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(35)
樽叔父に収容所出発のとき配られたランチを食べてもいいか訊ね、いいぐあいに、荷物のなかに小刀があったので、パンを切り、モルタデラを何枚か挟んだ。臭いは強く、名前のように得体の知れない食べ物だった。 味見をしてみた。たしかに味は濃いが、考えてみるとパンによく合っておいしいのだった。もし、だれかに「この国で何がたべたいが?」ときか ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(34)
起きてから何時間かすると、正輝は昼ご飯を知らせる声を聞いた。収容所ではこれが初めてのきちんとした食事だった。いろいろ書きこんだ書類ができたあと、無料で食事することができる食券とよばれるチケットをもらった。 「どんな食べ物だろう?」 衛生的には満点だといえるだろう。 「従業員たちは毎日、医者の検査をうけ、食品の品質は同じように栄 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(33)
コーヒーは神戸で飲んだことがある。自分たちはこのコーヒーを収穫するためにブラジルにいくのではないか?と考えはするが好きにはなれなかった。収容所ではコーヒーが喉を通りやすいように砂糖をたくさん入れて甘くした。 「いったい、この飲み物を、他の人たちはどう思っているのだろう?」と疑問に思ったほどだ。 そのあと、移民たちはそれぞれの ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(32)
「ちょっと、見てくるよ」と叔父にいい、そこを離れて、そのスペースにむけて走った。左右をみると、長い広い廊下が目に入った。廊下の両側にはたくさんのドアがあり、その先に広いサロンがあった。何のために使われるのか、そのときはかいもく分からなかった。建物の奥に進むと、右と左に2階に上がる広い階段があった。 正輝の冒険はここから始まった ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(31)
1912年、リオの公使館の通訳から通達を受けた日本政府も沖縄からの移民を禁止した。少しのちに政府はこれを見直し、ある条件のもとに、沖縄県からの移住を許可した。小学校を終了していること、40歳未満であること、標準語を話すこと(沖縄方言は他の日本人が解せなかった)、結婚生活を三年以上経ていること、家族に養子を加えないこと、女性は入 ...
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こうして樽、ウシ、正輝は後に俗によばれる「構成家族」という形でやってきた。ブラジルの移民政策はこちらに腰かけ的なデカセギでではない永住する家族を優先するものだった。しかし、日本の習慣として長男は家からを出したくないという考えがあり、ごく一般的なかたちの家族移民はむずかしかった。また、移民してやってきた日本人には短期間に、できる ...
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