文芸
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(20)
1900年、山東省で、義和団(Boxers)が中国に滞在する外国人に対して内乱をおこし、北京の諸国公使館を包囲した。日本は速やかに、そして密かに(中国の一部を支配しコントロールしようと企んでいる諸強
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日系文学、第60号刊行=笠戸丸表彰で3氏受賞
『ブラジル日系文学』第60号(発行者=武本憲二、編集者=中田みちよ)が11月に刊行された。 今号の特別寄稿には、「茶の湯―市中の山居」(林宗円)を掲載。外国文化を取り込み、独自の日本文化と昇華させ
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(19)
もうひとつ臣民が従うべきこと、それは武勇を重んじることだった。 「上級のものは下級のものに向かって、少しも軽んじて侮ったりしてはならない。そして、下級のものは上級の者を畏怖すべきではない」 また、
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(18)
この教育制度こそは、それまでの封建的な武士政権にあって、三世紀も世界の発展からとり残され日本に、世界と肩をならべるほどの大きな活力をもたらしたのだ。 教育改革法は1872年に発布されたが、それによ
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(17)
明治政府は多種の工業施設を開発し工業からあがる利益を、急速に増加する国民の食料を輸入することにより、国内の農産物不足の危機を乗り越えようと、やっきになっていたのである。 その点、沖縄は不利な状態に
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(16)
正輝の父、忠道の怒りは当然だが、鹿児島の支配下にいるのがいいという意見だった。この新しい県の行政を司る人間、それは絶対に優秀な薩摩の旧藩士で、沖縄をよくしる現在の鹿児島県人でなくてはならなかったのだ
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(15)
一方、明国は経済的にも軍事的にも最強で、みんな明国を怖れており、武家政治下にあった日本も中国に対し、これに似たやりかたを踏襲していた。極東全域の小国が中国への服従を示すことで、いざこざを避けようとし
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(14)
公用語は日本語で話すことが義務づけられていたし、教育も東京の中央政府から日本全土に発せられる教育方針にのっとった指導を受けていた。教理に従い天皇を崇拝した。忠道は沖縄の独自性(アイデンティティー)が
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ピンドラーマ=12月号
コジロー出版のブラジル情報誌「ピンドラーマ」12月号が出版された。 「ブラジル面白ニュース」では、リオのカテドラル・メトロポリターナに設置された「ホームレスのイエス像」を紹介。「ブラジル社会レポー
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(13)
マサユキは沖縄滞在中、近親の大学卒の者たちが尚巴志王時代までさかのぼって、家族の先祖について調査したことがあるときかされた。尚巴志王は1429年、島を三分していた王国を統一し、琉球王国の最初の王とな