文芸
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(12)
だが、彼らがまるでいっしょに育ったように感じられる原因がほかにもあった。それは一族の歴史を二人が共有していること。父方の祖父の孫というおなじ血を引く者同士だから当然なことだ。さらに二人を強く結びつけ
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(11)
船中では足や腕を動かすだけで、隣の人の足や腕にぶつかってしまった。いま、汽車のなかではもうすこしで、牛叔母さんの顔に当るところまで思い切り体を伸ばし、何回もあくびをした。闇がおりて景色が消えた。一本
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(10)
日本人はみんな背が低く、土地の者になじみのない妙な服を着ている。借りた着物のように妙に感じるのは移民のほうも同様で、彼らが洋服など着慣れているはずもなかった。 地元の人間にしてみれば、日本人はまっ
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(9)
回答はシンプルだった。若狭丸は神戸を出てからシンガポールまで一路つねに南西に向った。マレーシア岬やシンガポールの間をさえぎるスマトラ島を迂回するため、船は方向を南東にむけ、そのままジャワ海、ジャワ島
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(8)
それまで、人間は老齢や転落や殺人などの事故のために死ぬのだとばかり思っていた。それも耳にしたことがあるだけだ。はじめて脳膜炎の患者がでたとき、みんなは船の高いところから転落し、頭をひどく打ち、打ち所
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(7)
正輝は食べ物についても不平はなかった。献立は日本的で、毎日、3度の食事が支給された。朝食は7時、シソの葉の香がする梅干、たくわん、味噌汁、かぶの酢漬け、乾し魚、大豆の煮物、野菜類。昼食は12時、たく
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(6)
はじめに寄港するのはシンガポールで、船はずっと南西にむけて舵をとりつづけ、すでに出港から3週間が過ぎようとしていた。この貨物船の状態を少しでも耳にしていたら(あるいは日伯両政府は情報不足だったのかも
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(5)
印刷物の顔と旅券の顔が同一人物かどうか確認し、入国の判をおし、白紙のページに渡伯にさいして利用した交通機関や日付けなどを規定どおりに記載した。荷物を点検し、最後にブラジル国に正式に受け入れることを認
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(4)
自分が誇らしく思えた。つり合いがとれていた。西洋スタイルの晴れ着、そして、遠い西洋の輝かしき日…。 それは1918年7月17日、木曜日の朝、9時半過ぎのことだった。 「ディカ、セイコウ!(正輝!
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(3)
第1章 航海中の惨事 肌をさす冷たい突風がふいて、正輝はブルンと身震いしたが、その冷たさが快くもあった。三ヵ月たってはじめて目にする広い空だった。雲ひとつ見あたらない。すがすがしい青色は、故郷の冬晴