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文芸

安慶名栄子著『篤成』(36)

 私はマリオの家から10分位の所に住んでいましたが、家に着いた途端に電話が鳴ったのでびっくりしました。マリオの妹でした。彼が急に具合が悪くなったので来てくれないかとの電話でした。数分も経たなかったがすでに手遅れでした。30分ほど前まではにこにこしながら皆を相手にし、来てくれてありがとうと、幸せそうな笑顔でドアのところに立っていた ...

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安慶名栄子著『篤成』(35)

 父は口癖のように「従業員への感謝の気持ちだけは忘れるな。1人だと手が2つしかないけど、従業員がいればそれが200にまでなる。常に感謝しなさい」、といつも言っていました。  洗浄加工の方でも若い青年たちは皆とても努力家でした。必要に応じて夜通しで働き翌日の配達に必ず間に合わせるのでした。文句一言も言わずに。  乾燥の方にも大変な ...

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安慶名栄子著『篤成』(34)

 私とマリオが前に座っており、後部座席には残業をして遅くなった運転手が乗っていました。彼の家はちょうど私たちの通り道にあったのです。  黒人の彼は冗談がとても好きでとっさに「誘拐だ」と答えましたが、マリオもすぐに、笑いながら「ああ、大丈夫ですよ。ありがとうございます」と言いました。警官も安心したようで別れを告げ、行ってしまいまし ...

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安慶名栄子著『篤成』(33)

 すると、誰かから、「じゃあ、手分けして、交代でその日のおかずを持ってくるようにしたら」という案が出されました。  「僕は卵を持ってくる!」と、即座に運転手の方が言いました。「私は野菜を!」とか、「私はソーセージを!」と、あちこちで意見が飛び交い皆大賑わいになってしまいました。  和気あいあいの雰囲気で、常に「品質、時間厳守、誠 ...

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安慶名栄子著『篤成』(32)

 彼は私に過マンガン酸塩の使い方をすべて教えてくださいました。そして私たちも自分たちが使用している次亜塩素酸塩の事を詳細に教えてあげました。それは彼の国で禁じられている物質に代わる最適なものであり、彼は本当に感謝して帰りました。  でも、実際には私の方が愕然とし、かつ感謝いっぱいでした。過マンガン酸塩を使い始めて、私たちの生産量 ...

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安慶名栄子著『篤成』(31)

第18章  助け合い  仕事が増える分、自分の時間が減っていく。私はその頃サントアンドレー市のジャサツーバ区に住んでおり、会社がブタンタンという所にありました。フスカというフォルクスワーゲン社製の小型大衆車で毎日1時間半もかけて通っていました。  仕事はどんどん増え続け、その場所も見る見る狭くなってきたので私たちは会社をお客さん ...

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安慶名栄子著『篤成』(30)

 さて、私はサンパウロからサンジョゼ・ドス・カンポスまでの間のドゥットラ街道沿線にあった企業を訪問して歩き、帰りには同じように逆の方の企業を回りました。すでに連絡済みのお客さんのところには早く行きたかったので、会社には毎日一番先に着きました。  自社製造布地のデニムでジャケットやジーパンなどの他、大型製造の縫製工をも担っていたイ ...

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安慶名栄子著『篤成』(29)

 裁縫で生計を立て、最大限に節約しながら貯めたお金で洗濯屋を購入しました。ヴィラ・マリアーナという地区で、ある日本人の叔父さんがもう年なのでお店を譲る決心をしたという事なのでした。叔父さんは容易な分割払いを認めて下さり、私たちは中二階に寝床を添え、お店で暮らすようになりました。  イオコは転校しましたが、サンカエターノ芸術財団で ...

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安慶名栄子著『篤成』(28)

 そこに着いた途端、一戸一戸が狭苦しそうにくっついており、あまりいい印象を受けませんでした。でももしかしたら隣同士でくっついていない一軒家が見つかるかもしれないと思いながら道を上がっていきました。  すると、最後の家を見た時に「これだ」、と思いました。「絶対にこの家をお父さんに買ってあげる」と、条件さえ知らずに決心しました。その ...

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安慶名栄子著『篤成』(27)

 兄の家でお世話になり始めた私は、ペードロ・コライネという友人の仲介で、ブラジテックスという会社の研究所で務めるようになりました。その会社は後にバスフ(Basf)研究所になりました。  バスフでは月曜日から金曜日まで、朝7時から夕方の5時まで務め、月、水、金の夜7時から10時までは裁縫の教師として働き、美容師の免許も持っていたの ...

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