文芸
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(41)
6 在伯沖縄青年協会の創立と 在伯沖縄産業開発青年隊代表の派遣移民青年隊の海外移住が実現したその実態を語る前に、「鉄の暴風」によってやきつくされて敗戦の虚脱状態の中から一部識者の呼びかけに応えて、
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〃8人の侍〃荒木さんが本=ダム人生をコラムで綴る
イタイプーダム建設を救った〃8人の侍〃の一人、荒木昭次郎さん=ミナス州ベロオリゾンテ在住=が、コラム集『ブラジルのダムと五十年』(日毎叢書企画出版)を7月に刊行した。 2011年から『楽書倶楽部』
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(40)
言葉は全然話せないままウチナーグチで手まね足振りしながらなんとか務めをはたした。 ところで、母にとっては偶然ながら6人の従姉妹がブラジルにいた。サンパウロの仲本の祖父さん、カミロポリスの玉那覇のば
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(39)
しかし、私にとってはまだブラジル一年生で生計も充分でないこれからという時代(1963年頃)だった。ところが先輩移民のこうした要請を蔑にすることは、特に青年隊移民で世話になって移住した自分にとって無礼
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(38)
同氏は市内中央区の自分の家でキタンダを経営しながら安定した生活を営み、日系人から生活上の依頼や要請があればそれに応えてくれる世話好きな性格と寛容さで、市内に住む県人たちからの信望を一身に受けていた。
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ピンドラーマ=8月号
コジロー出版社のブラジル情報誌『ピンドラーマ』8月号が発刊された。 「移民の肖像」ではパラー州サンタレン市在住で、日本食レストランを経営する岡田夫妻の半生を描く。妻ハマ子さんは54年にゴム採取のた
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(37)
それで義弟実のフエイラに合流し共同でシヤカラ(農園)を経営することにしたのであった。それが大変好調であり約4ヵ年間も継続した。家族総出で植えつけた蔬菜の稔りを夜も明けぬ前から摘み取り、荷馬車に積んで
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇 =(36)
幸い小柳さんの鶏舎作りの手法を学びブラジル人耕地のユーカリ樹を買い受け伐採して家の柱に、更にボルクスワーゲン社工場より廃材の箱板をもらい受けたり、氏の手厚い厚意と支援で事はスムーズにはこんだのであっ
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(35)
しかし自分自身商売は全然経験がないばかりでなく農業移民でブラジルにきて町住いとは道理が合わないとばかり思っていた。それでも呼び寄せ手続きが出来たので2週間程、義弟実のフェイラ現場を見たりしていると、
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(34)
とにかく旧移民は働きに働いてようやく今日を築いてきた。従って君たち新移民も理屈抜きに働くことこそ成功の基だ、と常に過重労働を強要していた。自分にとって働く喜びは充分理解しているし、夜明けと共に朝露を