文芸

  • 自分史 戦争と移民=高良忠清=(4)

     二日後、あの日聞いた爆発音は、やっぱりうちの防空壕のすぐ近くで、近所の壕は崩れ落ちて二家族が生き埋めになってしまったというニュースを誰かが持ってきました。  叔母さんはそれを聞いた翌日、「親同然の舅

  • ピンドラーマ 3月号

     コジロー出版社のブラジル情報誌『ピンドラーマ』3月号が発刊された。  好評連載中の各国移民レポート(ノルウェー編)やカメロー万歳、ブラジル面白ニュースほか恒例のサッカー、グルメ、イベント、求人情報を

  • 自分史 戦争と移民=高良忠清=(3)

     その間、私の家族は防空壕で避難生活を続けていましたが、空襲がおさまる夕方ともなれば母は食事の支度にテンテコマイとなります。昼間は煙を立てることは出来ず炊事も暗くなるのを待ってからという毎日が続きまし

  • 自分史 戦争と移民=高良忠清=(2)

    戦争間じか  私が十歳になった頃、第二次世界大戦が沖縄でも始まるということで、日本軍隊がゾクゾクとやって来た。  しかし軍隊の兵舎の準備も無いまま、学校、全ての公共施設を徴用、そして民間の家々も利用し

  • 自分史 戦争と移民=高良忠清=(1)

     私は昭和十年(一九三五年)、沖縄那覇市字小禄(オロク)屋号新大屋(ミウフヤ)の七男として生まれました。長男から三男までは昭和十一年(一九三六年)に移民としてブラジルにわたり、四男夭死、残った五男、六

  • 道のない道=村上尚子=(82)

    ゴムの樹  アナホーザにある碁会所のそばには、ゴムの大樹がある。  四十年も前には、痩せた貧弱な木であった。建物の陰、しかもセメントの歩道の端で、この木はなんとか生きていた。  人間ならこの環境を逃げ

  • 道のない道=村上尚子=(81)

     やがて、二人で外へ買い物に出た。道を歩きながら、ひろ子がしみじみとした声で、自分へとも私へともつかず言っている。 「不思議ねえ……今なぜか昔ママイに色々してもらったことを、思い出しているよ。今まで何

  • 道のない道=村上尚子=(80)

         店 じ ま い  七十七歳になった私、もう力仕事は無理となり、今から二年半ほど前に、身を引くことにした。  この頃、このアパートの二階で、月に一回、文章の勉強会が行なわれていることを知った。

  • 道のない道=村上尚子=(79)

     初めは、彼にも私のポルトガル語が分からなかったのだと思える。しかし、段々私式のポルトガル語が理解出来るようになったのであろう。人間、どんな難しい問題でも、訓練と慣れとで、解決して行くものである。この

  • ピンドラーマ2月号

     コジロー出版社のブラジル情報誌「ピンドラーマ2月号」が発刊された。  好評連載中の「白洲太郎のカメロー万歳」や、クラッキー列伝「サンパウロ新監督にセニ就任!」「トビー」のほか、ブラジル社会レポート「

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