ヴァルゼン・グランデ 飯田 正子 釣りに行く孫の恋人夏帽子 【何と若々しい明るい俳句である事、季語の「夏帽子」がぴったりと動かないよい選択であった。 「孫の恋人」とあるように、自分の子供であるとこの様にのんびりとは詠めないもので、孫となると何となく恋人にも鷹揚になることが、私にも経験があって含みのあるよい俳句であった】 ...
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「平成二十八年度(二〇一六年)第七十回芭蕉翁献詠俳句」入選者
一般の部 【星野 椿選】特選 御句碑に流るゝ月日立子の忌 二見智佐子 【有馬 朗人選】入選 イペの国に桜を咲かせ移民の碑 湯田南山子 【宇多 喜代子選】入選 針の糸通しあぐねて冬隣 富岡 絹子 蛍飛ぶ路教はりて遠回り 檀 正子 【金子 兜太選】入選 梅干して移民の妻のやすらげる 湯 ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(41)
私は、この家にやって来て、とうとう一郎と別れたことを告げた。その時私は、サンパウロにある料亭「花園」というところで、働こうと思っていることを、父母に打ち明けた。 わけを聞いた父は、子どもたちを集めて、家族会議を開いた。 「尚子は、料亭で働くと言っている。二人の子供を養うにはオレは賛成である。皆はどう思うか」 「お姉さんが、そ ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(40)
一郎の辛さは良く分かる。でも、今私たちは、そんなことを言っている場合でないことも彼は知っているのだ。その葛藤に負けてしまった一郎…… ところで、その後、酔っ払いにしては、気違いじみてきた。ある日、ずっしりと重い鍵の束を私に見せた。 「この鍵は、今盗んできた。これで銀行に入る(盗みに)けに、人に言うなよ!」 私は、ただただぽ ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(39)
当時は、日本食堂など、この町には一軒もなかった。前の大通りの一番下あたりに、大きなレストランはあった。日系人が経営している。そこを、日本人たちは、利用していたらしい。こちらは名ばかりの食堂である。 客が入り始めた。ある農家らしい男の客が、 「ここはねえ、ほっ! と一服できる雰囲気だよ……」 と言ってくれた。宣伝もしていない ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(38)
何日過ぎても、雨の降る気配もなく、太陽は照り続けている。エスタッカ(添え木)を山から切ってきて、トマトの木が倒れないよう括りつけた。トマトが元気に育てば、このエスタッカが隠れるほど、緑に覆われる。 しかし、その細いトマトの木は、エスタッカと並んで立っている。それでも、哀れな葉をつけている。こんなに水不足の中でも生きようとする ...
続きを読む »実生活反映の風刺作が日語に=翻訳選集『とかくこの世は』
ブラジル日系文学会(武本憲二会長)からブラジル文学翻訳選集第4巻『とかくこの世は…―カリオカ人生―』(296項)が刊行された。 同書は作家ネルソン・ロドリゲス(1912―80)がウルチマ・オーラ紙に掲載し、大ヒット作となった100篇のコラムの内25篇に厳選した選集。翻訳は同会内「サークルアイリス」の7人により、2年間に及んだ ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(37)
「それにしても、売れるかな?」 という緊張と期待で心が引き締まる。町に着くと、迷わず日本人ばかりに売って回った。みかん箱にいっぱい近くあったまんじゅうは、一個も残らず売り切れた。嬉しかった。子供たちへの、ささやかな(それでもみんなには大変なもの)お土産と、現金を握って帰ってきた。この日は、家中に電灯が点いたようであった。 以 ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(36)
あのピーマンくらいで、台所の苦しさが変わるはずもなく、家の中は何か陰湿な空気が漂う。ある日、信が重大報告のような構えで、 「今日は、ママイ(お母ちゃん)の誕生日だ!」という。 私は、ママイと呼ばれたことはない。であれば、生みの親のことである。 おまけに一郎までが、畑から帰って来て、心なしか肩を落としている。 「すまんな、今 ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(35)
ある日のことである。 家の前の庭に、親指の先くらいの蟻が飛んできた。羽が生えていて、空から飛んで来たのだ。飛んで来た蟻は、自分で透き通った羽を、ハラリと落として、庭一面に動き回っている。私はひらめいた。手を伸ばして蟻を拾い、その太い尻をもいで集めた。ものすごい数の蟻だ。鍋に半分になったら、これを火にかけ炒ってみた。 子供た ...
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