ひろ子が歩くようになった。一歩一歩両手を広げて、私へ向かって来る。嬉しそうに……いつでも支えられるように、私も身をこごめて両手を広げた。そんなに大きくなってきたひろ子。これを毎日おんぶしての草取りである。暑さと疲労の戦いである。炎天下の下、ひろ子のお腹と、私の背中のぴったりした箇所が煮えるようだ。子供は大丈夫だろうかと不安であ ...
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至極の100枚を掲載「移民Ⅱ」=サ紙の創刊70周年も記念し
サンパウロ新聞の松本浩治編集局次長による写真集「移民Ⅱ」がこのほど刊行した。2006年の「移民Ⅰ」に続く10年ぶりの続編にあたり、その間撮影した約100枚の写真が収められている。 1966年、大阪生まれの松本さんは94年から当地に移住。日毎新聞を経て98年からサンパウロ新聞社に勤務している。同作はサ紙の創刊70周年も記念し出 ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(18)
「母が、さすがに私たちのことを放っておけずに、父を説得したのだろうか?」 その時は、何が何だか分からずに、すぐに山城家に向かった。私は内心あのおじさんなら、と思えたからでもあるが。無一文の私たちは、支度らしい支度はほとんどいらず、身ひとつで引取られて行った。 着いてみると、山城家には私たちと似たりよったりの年頃の息子が三人、 ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(17)
父の説明によると、毒蛇の体の模様は地味で頭は小さく三角形ということであった。確かに体の模様はおとなしかった。 翌日、三キロ先の太田さん宅へあげた。ご主人はいそいそと蛇料理にとりかかった。この家でもこれほどの食料が舞い込んだことを喜んでいるのが、彼らの立居振る舞いで感じとれる。ご主人は、さっそく輪切りにして開き、骨は抜いて塩焼 ...
続きを読む »ニッケイ歌壇(523)=上妻博彦 選
サンパウロ 梅崎 嘉明 大鳥居くぐればピニアル植民地広き会館太鼓の響く 誘はれて出で来しピニアル別名は福井村とかデコポン産地 福井村と記せる法被で商える老若男女さながら日本 一つのみ食べても良しと許されてデコポン狩りに人はにぎわう デコポンと誰が名付けしや稚拙とも愛嬌とも言われ馴染める 「評」『実相観入』とは、茂吉 ...
続きを読む »ニッケイ俳壇(910)=星野瞳 選
アリアンサ 新津 稚鴎 淋しさの寒月光に身を委ね 麻州野の大夕焼の森閑と 鳳梨売る砦の如く積み上げて 霧の中飛び来るは皆トッカーノ グァタパラ 田中 独行 巻き風の吹き上げておりパイナ飛ぶ 人あまり通らぬ街路パイナ敷く 短日や自転車の道暮れ初めし 短日や昨日忘れし鎌ありぬ 痩せ畑に月満ちし度霜三度 ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(16)
星が目に痛いほど光っている。それを眺めながら、「私たちは、この先どうなって行くのだろう」と思い巡らした。 茂夫は、少しづつ笑顔が戻ってきた。夜、ランプの下で、雑誌を読んで聞かせると、楽しむ反応を示した。そんな彼がある日、 「川中へ、ちょっと行ってくる。すぐ帰るき」 と言って出かけた。日がとっぷり暮れた。しかしランプを灯すの ...
続きを読む »「現代ブラジル事典」=商議所で取り扱い開始
ブラジル日本商工会議所が刊行した書籍『新版 現代ブラジル事典』の取り扱いが始まった。同会議所(Av. Paulista, 475, 13o. andar)が170レアルで販売している。 2005年の旧版から全面刷新、主に00年代以降のブラジル動向に焦点を絞ったブラジル情報が網羅された最新版。 編集担当者は「わかりやすい記述 ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(15)
「お父さんは、あの恩給で自分自身をダメにしてしもうた……」 この知らせを境に、父はいよいよワンマンになり、皆を頭から押さえ付けた。何より茂夫に対する苛めが、度を越してきた。ついにこの孤独な彼を見かねた私は、別居を申し出た。というより喧嘩別れである。 別居と云っても、仕事場も何も変わらない。住む家だけの話。私と茂夫、赤ん坊の三 ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(14)
何やかやと大変なことが押し寄せたが、一段落した。こちらも人のことどころではない。産後の養生のため、炊事は私の当番になった。その後、川中さんの指導のおかげで、こちらも自給自足の体制に入っていった。 少しづつ玉ねぎやキャベツ等が出来始めた。しかし相変わらず、肉もなければ魚もない。主食はあのとうもろこしだけ。とぼしい材料で、皆が飽 ...
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