「そうよね、治るわね」女性は自分に言い含めるように言ってから、 「癌なの」と小さく沈んだ声で言った。こんな太った癌もあるの? それとも今始まったばかりだろうか。 私は次に何を言っていいやら、頭の中がおろおろするばかりで言葉が見つからない。 「来年の今頃…どうしているかしら」女は独り言のように呟いた。 「大丈夫、大丈夫、 ...
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どこから来たの=大門千夏=(81)
催事場の隅に寿司屋があって、ここをぼんやりと見ていると、「海鮮どんぶりがお勧めでーす」と若い店員が声はりあげて言う。宮城から来たんだから魚は美味しいに違いない。 ――年を取ったら栄養を取らないとボケるんだって。わが人生いよいよ先がみじかくなったから、おいしいもの食べといたほうが良いじゃあないの――なぜか弁解が頭をよぎる。 二 ...
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家族皆で早朝から、山を下りて収穫物を売りに来たに違いない。帰りは売れたお金で必要なものを買って籠に入れて、又山に帰って行く。これが小さいときから営々と続いている彼らの生き方。唯一の現金収入の方法なのだ。 五人の子供がじっと屋台を囲んでおばさんの手つきを見ている。 まもなく二人の女性が傍に来た。途端に小さい男の子は背伸びして ...
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お世話になったわね、ありがとうと声を出して言い、何時もならこれで古着の整理ができた、また新しい服を買おうと喜んでいたのに。しかし今日はなんだか気持が弾まない。 一〇年以上も愛用したセーター。私の家から五〇〇〇㎞も離れた知人もいないこの寒く冷たいウシュアイアの土地に残してゆく。 こんなところにたった一人、寂しいだろうな、悲し ...
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青い氷が輝いているという南極をぜひ見たいと二〇年も昔から願ってきた。なんで?と聞かれても大した答えはない。ただ美しいから見たいのだ。 それと、あの世に行って夫に会ったら「地上から眺める南極は、天空から眺めるよりずっとずっと美しいのよ」と大いに威張って話したいという単純な動機である。 ちゃんと計画を立てて出港に合せて来ればいい ...
続きを読む »どこから来たの=大門千夏=(77)
文句を言うと、もう他に部屋はないという。さすがに腹が立って大声で文句を言った。するとどうだろう机の下からすっと鍵が出てきた。「この部屋は湯がでるよ」だって。知っていても苦情が出るまで知らぬ顔をしている。だから何事も常に文句を言い、大声でドナル、ガナル、ワメクと物事がスムースに行くという事がやっとわかった。こちらの顔つきが悪くな ...
続きを読む »どこから来たの=大門千夏=(76)
しかし、信じてはいけない。 私達が寄った食堂のお姉さんは――イヤイヤお嬢さんは一五?一六歳にしか見えなかった。テキパキと働き、店の台所を一人で切り盛りしていた(台所はお客から見えるところにある)。見ているだけでも百点をあげたいくらい良く働く。その上かわいく、あどけなく、色白で天使のような顔をしていた。 彼女の作ったラーメン ...
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「水代、一〇ドル! 二人で二〇ドル、それから、これに税金やらサービス料やら、二五%かかる」 「じゃあ二人で水だけで二五ドル。まさか!」二人で顔を見合わせた。 あわてて残った水をいじましくコップに注いだ。無理して飲んだ。こんな時、お生まれが判るのよね、と言いながらやっぱり飲んだ。残して立ち去ることがどうして出来ようか、できる ...
続きを読む »どこから来たの=大門千夏=(74)
「貴女の応接間に飾ってあげてほしいんだけど」と言うと、女はキョトンとした顔をして、首を少しかしげてエッ?と言ったようだった。 「これはお母さんの心、お母さんの魂よ。売ったりしないで。……お母さんを思い出してあげて」と心をこめて言うと、女は眼を大きく見開いてじっと私を見つめて、それからしばらくして眉間に小さなしわを作って下を向いた ...
続きを読む »どこから来たの=大門千夏=(73)
こんなところに一人で住んでいた? しかしここまで黒くなるには少々の年月ではないはずだ。雨漏りだろうか、それとも水道管か。今までよくも漏電しなかったこと。 階段の白い大理石の手すりは壊れたままで、その大きな破片は黄褐色になって階段の下に転がっている。すぐ近くに住む娘は左官を呼んでやることも、電球一つ取り換えてあげることもしなか ...
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