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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇

わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(56)

 以上250人の招待客と関係者並びに隊員と家族で1500人が参加し盛大な祝典は午後8時、賑やかな中に仲宗根正憲の閉会の辞で散会。 11 在伯沖縄青年協会 第一回子弟訪日研修旅行  青年隊にとって1971年には1人の代表派遣を催して母県及び親元の産業開発青年協会へ近況報告を行ってきたが、1975年7月には青年隊20周年記念祝賀祭に ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(55)

 小さな組織である青年隊グループによる自主的なスポーツ・文化活動が沖縄県人会にも影響を与え、文化センターとの対立的雰囲気を融和し和らげていく上で、大きな示唆を与えた、と言っても決して過言ではない。  1975年6月の文化センター定期総会において、青年隊側からも是非執行部に入てもらいたいとの要望があり役員改選で山城勇が第3副理事長 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(54)

カーザベルデ地区 瀬名波栄進 宮城真吉 古波蔵実(約200人) カンポ・リンポ地区 城間政吉(約80名) ペンヤ地区 喜納盛忠 久手堅勲(約30名) 日の出地区 花城康栄 喜納茂 伊野波盛雄(約60名) サン・カエターノ 喜納真次(約100名) サント・アンドレー 島田房良 糸洲三郎 与那覇朝昭(約50名)  以上、7地区の代表 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(53)

 席上、初めての運動会であり場所も不案内のため委員で各地区の同胞を宣伝勧誘すること。また各地域の青年会を勧誘して地区対抗競技をプログラムに採用し、広範囲のプログラムと観客を集めるよう工夫することが申し合わされた。  1973年5月1日午前9時からブラジル沖縄文化センター運動場において、ブラジルの地において沖縄県系人の初めての運動 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(52)

(06)花笠節          山田春江 (07)爆笑劇・愛は探し  山田義秀外三名 (08)糸満アングワ 小橋川照子 山田春江 (09)民謡            若干名 (10)仲里節     山田義秀 山田春江 (11)港クリ節        新崎つる子 (12)舞踊(王将)       城間ミツ子 (13)戻りかご   ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(51)

15周年記念実行委員会の職務分担  式典司会  池城行雄  会場係  知念盛達 山城弘 金城昌孝 他青年隊カロン在住者  進行係  仲宗根正憲 久場川サワ子  接待係  久場盛忠 国吉真栄 石川繁 野原清一 比屋根進    渡嘉敷唯康 池原秀俊  受付係 大城三男 具志堅古三郎  宮平守雄 神里栄光 与座清昌 照屋幸次郎  伊野 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(50)

 その趣旨目的は ① 青年隊渡伯15周年祭資金造成 ② 県系人社会の慰安と親善交流 ③ 敬老の意味で75歳以上の高齢者特別招待する ④ 沖縄の祖国復帰祝賀 歌手の参加申し込み 開催一週間前までに申し込むこと 歌手と伴奏者の氏名を明記の上用紙で申し込むこと 審査委員長 仲本魁作      委員 和宇慶朝六 渡名喜庸栄        ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(48)

 当時は、未だテレビの普及度も少なく娯楽に乏しい時代、特に若者にとっては皆で楽しめるバレーボールや野球は、大いに期待する行事であった。  青年協会にとって初めての行事だけに予算や資金もないので本番数日前に協力券1枚5コントス)300枚を発行し役員で売り捌くことにしたので、資金面でなんら問題はなかった。県人会から優勝杯、青年隊から ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(47)

 移住青年隊の後続部隊が輩出しないのも、ここに一因あるのではないか。そして、対策の道も開けることができるのではないか、と胸に込み上げてくるものがあった。  私は、報告活動を終えるに当たって、沖縄産業開発青年協会、移住事業団、移住課の特別なお世話と御指導にたいし深く感謝の意を表し、厚く御礼申し上げた。  そして、政務と本土復帰の態 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(46)

 翌日は13年振りの古里へ胸の鼓動をおさえながら午後5時羽田空港を飛び立った。  到着すると直ぐに、多くの報告資料と調査用紙の整理にかかった。実態調査資料は、役員たちが入念に整理してあったが、到着して見ると、やはり意に添わぬ点が多々あり、別の方法で整理・集計しなければならなかった。そのうちに、青年隊の父兄(留守家族)が次々と宿に ...

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