周りに誰もいないベンチに腰かけて勢い話は本のことになる。何と言っても今日の掘り出し物は「金子薫園の短歌の作り方」と私が言えば、いや 谷崎潤一郎の「文章読本」もいい、と品次君が言う。 ウニオン区の青年たちが見おとしてくれたお蔭で我々の手に入ったのは運が良かった、と喜び合うのであった。 閉店時間も近づいた。冬の日は暮れるのが早い。 ...
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チエテ移住地の思い出=藤田 朝壽=(11)
常日頃欲しいと思っていた本がある。 「万葉集評釈 江戸時代和歌評釈」「子規・節・左千夫の文学」佐々木信綱の「豊旗雲」谷崎潤一郎の「文章読本」「朗吟名詩選」福沢諭吉の「人生読本」バルザックの「この心の誇り」選んだ本を千代吉さんに持って行く。彼は品次君と吉川君が選んだ本を手帳に記入しながら恵比須顔である。 珍しい本では山鹿素行の「 ...
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祖母も起き出しておくどさんに火を燃やしている。ゴーゴーとコーヒー豆を挽く音がする。やがて祖母は大きなカネッカにコーヒーを注いで持ってきてくれる。 七月の朝寒に飲む熱いコーヒーは香りも高く何ともいえぬ旨さだ。 馬を曳き出して鞍を置き荷物をとり付けていると、蹄の音が聞こえてきた。 私はオーバーを着、祖母に「行ってきます」と声をかけ ...
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(3)梱包の歌集は日の目を見た 昭和十九年の七月某日の午過ぎであった。私は運搬業をしているK君から一通の封書を受け取った。 開封してみると「あなたの望んでいる品が一昨夜着いた。直ぐ来い」とだけ書いてある。ペレイラ・バレットス市の「鈴蘭商会」の奥さん(北海道出身・今泉氏)からである。来た!本当に来たのだ。夢ではない。私の胸は ...
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「次は第二句だ。いいかね。人山ヒトノテノヒラに、この第二句は解読するのに時間がかかったが苦心してやっと解くことが出来た。人山人は、仙人のことだ。人べんに山は仙だ。仙の下に人があるから仙人となる。次は手のヒラだ。『仙人掌』でサボテンと云うことが解った次第。宝クジはサボテンに針で止めてあった。六十キロ入りの白米一サック私が頂くこと ...
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しばらく草書の字を見つめていた私は「何と読むのですか?」と尋ねると、「私にも読めないのよ。主人が生きていてくれたら、このような字は訳なく分かったのに」と言われるのであった。 華絵の亡夫、甚一は能書家であると共に文学の嗜みの深い人であった。 「志津野荘一」のペンネームで昭和十二年頃、サンパウロ州新報に連載小説を寄稿していた。その ...
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昭和初期のチエテ移住地で、開拓に明け暮れた移民妻の哀歓を叙情豊かに歌いあげた華絵作品は二十四歳から三十歳までの歌であることを想うと華絵がコロニア短歌界に残した足跡は大きい。 椰子樹編集長の清谷益次は近年、日伯毎日紙に、特に華絵短歌を採りあげて三回に亘って歌評したことはまだ記憶に新しい。 私に一生短歌を持ちつづけることを約束させ ...
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また彼は蔵書家でもあった。主に古典が多かった。竹取物語・源氏物語・伊勢物語・徒然草・平家物語・頼山陽の日本外史・樗牛の滝口入道・土井晩翠の天地有情・藤村詩集・九条武子の無憂華・等々の良書ぞろいであった。 どういう訳か順蔵は私には気持よく本を貸してくれた。 解らぬながらも古典を借りて読んだことは作歌上非常に為になった。 サンパウ ...
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「寄生木」第一号は原稿用紙を二つ折にし華絵の美しいペン字の行書で出された。昭和二十一年の秋であったと記憶する。 左に覚えている歌だけ記す。 棉の芽は未だ幼し降る雨の激しくなれば気がかりて来ぬ 華絵 しめやかに雨降る夜半をちろちろと床下になくこおろぎの声 飯島 清 まぎらせどままにはならぬ玉突き ...
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小田切剣は筆名で本名は清水美貴雄、日大の法科卒で窪田空穂系の歌人で、最初バラ・ボニータ区に入植し間もなく移住地を去った歌人である。 戦後の一時期南米時事歌壇の選者であった。 小田切剣は戦前改造社が発行した「新万葉集」に四首、昭和五十四年講談社発行の「昭和万葉集」に三首収載された優れた歌人であった。 左に一首あて記す。 小 ...
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