回想=渡満、終戦、そして引き揚げ=浜田米伊

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     苦しみや悲しみにうち沈んでいる内に時が経ち、翌1975年7月18、19、20日の3日間、朝に大霜が降り、コーヒーの木は全滅。この時はさすがに私でも希望を失い、元気もなくなってしまいました。  この頃

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     コーヒーの木が小さい時は間作といって、その間、色々な雑穀を植えるのです。米は中へ4通り、フェジョン、大豆、ミーリョ(とうもろこし)と色々な種を蒔きました。どこの家もポルコは太らせて売りますから、ミー

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     すると思いがけなく、そこの地主の国井さんという人が、こちらが払った分をそっくり持ってきて返して下さったことには、みんなが驚きました。こちらがやめたものだから、そのお金を返してもらえる等とは誰一人思っ

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     私が嫁いだ所は郡が違う遠い場所でした。まだ今まで一度も見たことがないところで、そこは田も畠も高い所にありました。これまで会社勤めをしていた私には、段々畑を早足で歩いたり、坂を駆け上ったりする事はとて

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     また、これは引き揚げに関した事ではなく、在満中にいつも行っていた事です。  秋になり、雑穀物を収穫して家に運んできてから脱穀する時、キンタウ(裏庭)に平らに水をまき、凍らせてその上で脱穀するのです。

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     それからどれ位してからかは記憶に残っていませんが、そこにいる時、私は満人の豆腐屋で働きました。お金はいつも遅れがちでしたが、払ってくれていました。  いよいよチチハルへ南下が決まりました。  ところ

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     この時に幼児でも連れていて、その子がもし泣き出して満人の部落の犬が吠えたりして目を覚まさせたら、皆が殺されてしまうといって、小さい児を連れた母親はみんな「家に置き去りにしてきた」というから、可哀想な

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     夜寝る時も、軍服のようなものを着たまま寝ます。これは、いつ起きなければいけないか分からないからです。  話は変わりますが、日本人の兵隊さんが弱ってヒョロヒョロになり、傷ついた方も団へ入って来ました。

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     春になって一番に咲く花を、満語では迎春花(インチュウホワ)と言います。これが咲き始める少し前くらいには、昼間少し融け始めた屋根の雪が、夕方寒くなるとツララになってぶら下がります。しばらくこの時期があ

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     生きのびて  私達は南国土佐(高知県)出身の者で、父母は土佐和紙典具帖紙の工場で働いていました。父は4人兄弟で、上2人姉がいて次に兄(叔父)、それから父は末っ子でした。  父は始めから叔父さんの家族

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