死に化粧が巧みだったのか、それとも体力をあまり消耗しないうちに死んだので、見たところ十歳もわかくみえ、老婦人のもつ品のよい美しささえあらわしていた。 けれども太一は一目みたとき、これはもう千恵ではないと思った。蝋のような質料で精巧に作られた人形のようなものに感じた。つまり命のないもの死者ということであった。死とは生者の目の前に ...
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宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(6)
千恵は家に戻ってはこず、病院より墓地に運ばれ、遺体安置場で弔問客に会い、永の訣別をすることになった。 太一はどういうものか、父母をはじめ弟妹たちとも縁はうすい。長男なのに家を出たゆえだろう。おなじサンパウロ市内にいても便りもなく、時に妨ねてきても四、五年の間はおいている。まして他州にいる者とは嘘のようだが二十年も会っていない。 ...
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太一はーえらいことになったーという衝撃もあったが、なるべく考えないようにしていたある予想が、ぱっくりと眼のまえではじけた恐怖につつまれた。事態は急変しているので、太一は廊下をはしって息子夫婦の部屋の戸をたたいた。すぐに嫁の姉S宅に知らし、丈二は友人Eにすぐきてくれるように頼んだ。Sの娘で看護婦を勤めているI市の救急病院にゆくこ ...
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太二はすぐにそれは血便と直感した。それもかなりの量のものが、時間をへて排泄されたものと判断し、さっそく店に電話して息子をよんだ。 入院した千恵は点滴の注入はうけていたが、近日にでも手術をうけられる様子はないようであった。丈二が係の医者にきくと、ーいま検査しているところだーと答えただけで、詳しくは説明してくれなかったという。太一 ...
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彼の知人のなかにも千恵とおなじ病気のひとがいて、もう十年からインシュリーナを打ちつづけているという。毎日欠かせない注射も、無為の彼にはよい日課になった。というよりは太一の心にあるはずみがついているのを自覚して、近ごろとみに神経過敏になっている妻に見破られないかと、ギョッーとなるときがある。 思い返してみると、千恵にーあんたはわ ...
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ついの旅になった訪日から帰った母をみて、息子はーママエは背中がかがんできたーとー彼の気づいたことを太一につげたが、それから千恵はしだいに痩せるようになった。医者にかかると、糖尿病と診察されて、こまかい食療法を指示された。処方どおりに従っているのに、干恵の体重は秤にかかるごとに針はさがっていった。息子は憂慮してふたたび病院で診察 ...
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もう一つの連れはどうしたきりぎりす一茶 妻の千恵に先立たれた太一は、命あるものが避けることのできない生死の離別は、世の中の常と理解していても、この度の事はなかなか心底から納得することができず、―女房はおれより五歳も下だから、あれが残るだろう―と、楽天的な気持ちと安楽な日々になれて、当分はこの現状がつづくものと安心していたのが ...
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