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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫

父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(8)

 そして目的地のアキダウーナ市に到着、そこで小さなペンソン(旅館)で一晩宿泊、翌日町の中を散歩、80余年前父もこの道を歩いたかも、と現在は発展した街中を歩き回った。そして古い教会の前で立ち止まり、「この教会も確かに父の姿を見ただろうなぁ」、と問うように合掌。胸を締めつけられるような感じであった。 郁太郎は、「父さん貴方のお望みど ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(7)

郁太郎夫妻とその家族、サンパウロ市に移転

土地の測量――小禄村役所時代の体験を生かして どうせ沖縄には帰らぬ覚悟で移住した。この国で幸せを掴むのだ。郁太郎はこの国こそ我らの国と心の底から誓っていた。 そんな生き甲斐を感じた郁太郎家に5男ジョージいさおが誕生、二世交ざりの9名家族になった。小学校終了後はオリンピアの町に住み込みで教育させ、ポルトガル語も不自由を感じない生活 ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(6)

 とうとう稲の穂先が枯れ始め、泣くに泣けない見殺しに胸が裂ける思いで、オテントさんを恨む。雨があれば仕事もあるがここしばらく雨を待つしかない。膨れ切れた手豆も石のように堅くなっている。慰めをかける母ちゃんに「その分子供たちが成長したから悔いはないよ」、と慰めあう夫婦である。とうとうその年は不作に終わる。夫婦共々年中働き収穫無しの ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(5)

郁太郎家の木造の住宅

豊作を夢に猛暑と一騎打ち 鍬を握った最初の瞬間に農場を見回した郁太郎は「必ず儲けて叔父さんみたいな農家になるんだ」、と勇気を新たに独りごとで心に誓った。明け方から日暮れまで、握りどおしのエンシャーダに手まめも腫れ、切れて痛む。 しかし、それはもともと覚悟の上、手袋をはめたり取ったり、豊作を夢に流れ落ちる汗も袖で拭い、沖縄から持参 ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(4)

オリンピアの大農場主、金城正仁家の人々

 それから20年の歳月が流れた。沖縄庶民の暮らしは何も変らぬ昔同様、それこそドン底の暮らしであった。 そこでまた、亀の弟金城正仁が、これまた同じ動機で18歳の長女を先頭に1歳の乳飲み子までの8人の子供を引き連れてブラジルに移住、モジアナ線地方に入植した。 1937年のことであった。10人家族で過酷なコーヒー栽培に従事、成長する子 ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(3)

無念の死をとげた父親・金城亀

ブラジルへの移民―その動機 そのころのことである。ブラジル近親者呼び寄せ移民再開のニュースに接し心動かされ、妻に持ちかけた。丸いお膳に熱い芋を囲み家族揃って夕食の最中であった。 「ネエ、かあちゃん、私はブラジルに移住することを決めたよ、今の仕事も何時まで続くか知らない。大国に出て思う存分やって見たいんだ。そして、将来安定した円満 ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(2)

召集されて一等兵になった金城郁太郎

兵役召集――ウンチェーと恩賜のたばこ それから間もなくしてから彼は召集され、八重山(島)に配属された。 そのころ部隊は、ものすごい食糧難にみまわれ、隊長も悩んでいたという。郁太郎は隊長に申し出た。「隊長、この土地は湿りけがあり空き地も広い、そこにウンチェーでも植えたらどうでしょうか、部隊全体の食菜になりますよ」と農業をしたことの ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(1)

在りし日の金城郁太郎と筆者

 戦前・戦後のブラジル日本移民約25万人、それぞれが大きな夢と希望を抱き地球の反対側ブラジルまでやって来た。その殆んどが農業移民であった。 だが、日本での宣伝やそれぞれが想像していたこととはあまりにも差異があり、表現の仕様もない過酷な苦労を重ねた移民群衆。働けど働けど食うのが精一杯の暮らしで、歳を重ねるとともに成人になった子供た ...

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