私のシベリア抑留記=谷口 範之
-
自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(63)
こんなやり方は初年兵の一人が、在郷軍人から教えられたものらしい。初めての入浴日、私は悠々と湯につかり、あがって石鹸で体中の垢を落とした。再び湯につかろうと浴槽に入った。古年兵らしい二人が浴槽にいるだ
-
自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(62)
一六、列車は南下する ソ連側は行き先を発表しないが、刻一刻と日本が近くになっていることは確かな事実であった。 翌早朝列車は動き出した。昼頃荒野原の真ん中に停車した。前方車輌から 「後へ逓伝。各
-
自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(61)
あっけにとられている私を引張って、大きな切り株の陰に行く。大き目の空き缶に高粱をざっと入れ、水筒から水を注いだ。石を積んだカマドに枯れ枝を重ね、マッチで火をつけて、缶を載せた。 マッチなど、ラーゲ
-
自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(60)
そのおっとりした感じが、今も残っている。 「甲種か乙種か」 と、訊ねると 「甲種だった。海拉尓の経理学校へ入学することになった。谷口はどちらだ」 現金なもので、同年で同年兵だと分かると、先輩後
-
自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(59)
この伐採はあの将校の個人の商売で、賃金を払わなくてよい捕虜を使って、切り出した材木を売り、儲けていたことが帰りの話題になった。通訳がばらしてくれたのだ。だからカンボーイは私たちの怠慢を見ぬふりをした
-
自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(58)
大八車二台に食糧を積み、交替で荷車を引きながら、日盛りの小峠を越えた。夕方着いた伐採地は、幅五mの川の傍で川の両側には低い山並みが押し寄せている。すでに他の伐採班が従事した後であった。 宿舎は川の
-
自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(57)
私はすでに正夢を体験している。あの夢の続きの最後は、わが家に帰えりついて父母にあっている。だから帰還は実現するはずである。死ぬはずはないと強く自分に言い聞かした。 下痢は一日一回程度におさまった。
-
自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(56)
九、天罰覿面 欲の皮が突っ張って、その日の夕方から下痢が始まった。天罰覿面とはこのことか。下腹が痛み便所通いの回数が増えていく。薄粥に慣れきっている胃袋が、だしぬけに固い飯を飯盒二杯と炒りトウモ
-
自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(55)
先日の薪採りで推測した通りであった。噂では五千人は収容されていると言うことであったが、噂ほど当てにならないものはない。 見習い士官の服装をした青年がでてきた。 「ソ連軍の命令により、一日当たり二コ
-
自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(54)
毎日一〇数人か三〇人ぐらい、死んでいると専らの噂である。ラーゲリで奴隷以下の家畜のように扱われ、衰えて病弱者になった。そして命は取り止めたが役に立たないと言うことで、北朝鮮まで来たものの病が重くなっ