こんなやり方は初年兵の一人が、在郷軍人から教えられたものらしい。初めての入浴日、私は悠々と湯につかり、あがって石鹸で体中の垢を落とした。再び湯につかろうと浴槽に入った。古年兵らしい二人が浴槽にいるだけで辺りを見回すと、同年兵は誰もいない。 あっと、気が付いた。 浴場に入る時だれかが、××二等兵入浴します、というや否や手桶に ...
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(62)
一六、列車は南下する ソ連側は行き先を発表しないが、刻一刻と日本が近くになっていることは確かな事実であった。 翌早朝列車は動き出した。昼頃荒野原の真ん中に停車した。前方車輌から 「後へ逓伝。各自炊事用の薪を採り、炊事車に渡せ」 と、寒い強風をついて聞こえた。後の車輌に伝えた。 この南下の旅はノーバヤからポセットまでの ...
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あっけにとられている私を引張って、大きな切り株の陰に行く。大き目の空き缶に高粱をざっと入れ、水筒から水を注いだ。石を積んだカマドに枯れ枝を重ね、マッチで火をつけて、缶を載せた。 マッチなど、ラーゲリ生活のなかでは宝石同様である。余程のことがないと持てなかった。 「貴重品を持っているな」 と、いうと 「何でもあるぞ」 と、 ...
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そのおっとりした感じが、今も残っている。 「甲種か乙種か」 と、訊ねると 「甲種だった。海拉尓の経理学校へ入学することになった。谷口はどちらだ」 現金なもので、同年で同年兵だと分かると、先輩後輩の気持が減少したらしく、私を呼ぶのにさん付けを取って、谷口と呼び捨てになった。なんだか可笑しくなって、 「経理学校か。後方勤務で ...
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この伐採はあの将校の個人の商売で、賃金を払わなくてよい捕虜を使って、切り出した材木を売り、儲けていたことが帰りの話題になった。通訳がばらしてくれたのだ。だからカンボーイは私たちの怠慢を見ぬふりをしたのだ。収容所に帰りついてみると、広場の一隅に舞台が出来ていた。日曜日毎に演芸会を催すことになったという。捕虜生活が長くなるにつれて ...
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大八車二台に食糧を積み、交替で荷車を引きながら、日盛りの小峠を越えた。夕方着いた伐採地は、幅五mの川の傍で川の両側には低い山並みが押し寄せている。すでに他の伐採班が従事した後であった。 宿舎は川の傍の砂地に、細長い三角テントが設営されていてその数は六つ。内部には囲炉裏風の焚火をする囲いが設けてある。同宿は五人。前職が刑事、す ...
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私はすでに正夢を体験している。あの夢の続きの最後は、わが家に帰えりついて父母にあっている。だから帰還は実現するはずである。死ぬはずはないと強く自分に言い聞かした。 下痢は一日一回程度におさまった。腹痛は全くなくなり、軟便になった日に、元の宿舎へ独断で帰った。 一〇、林田さんと遭う 病舎へ行く前の宿舎に戻ってみると、 ...
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九、天罰覿面 欲の皮が突っ張って、その日の夕方から下痢が始まった。天罰覿面とはこのことか。下腹が痛み便所通いの回数が増えていく。薄粥に慣れきっている胃袋が、だしぬけに固い飯を飯盒二杯と炒りトウモロコシを、一度に送り込まれて驚き拒絶反応を起こしたのだ。 幸い宿舎のすぐ隣が共同便所で助かった。三日目の夕方、便所に行こうとして ...
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先日の薪採りで推測した通りであった。噂では五千人は収容されていると言うことであったが、噂ほど当てにならないものはない。 見習い士官の服装をした青年がでてきた。 「ソ連軍の命令により、一日当たり二コ分隊の人員で、鉱石採取の応援をすることになりました。右翼の列から三〇人編成をし、今日から作業に行きます」 みんな騒然となった。 ...
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毎日一〇数人か三〇人ぐらい、死んでいると専らの噂である。ラーゲリで奴隷以下の家畜のように扱われ、衰えて病弱者になった。そして命は取り止めたが役に立たないと言うことで、北朝鮮まで来たものの病が重くなって息を引き取る。無残であった。患者を診察している軍医の表情には、憐憫の表情は浮んでいなかった。 モルドイ村の病院に派遣されてきた ...
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