そんな彼はいかにも手に負えない兵隊に思えたが、こうして身近に接していると、意外にも好人物であることが分かってきた。一見ぎょろ目で髭は濃く、取り付きにくい感じなのだが、たまに冗談を飛ばしたりして、いつとはなしに仲良く行動を共にしていた。 保坂さんは志願兵仕上がりの伍長で、モルドイ村から伐採に応募した時の班長であった。温和しい人 ...
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(52)
三、収容所(日本窒素K・Kの社宅街) 間もなく有刺鉄線を張り巡らした収容所に着いた。監視塔は見当たらない。周囲は山で囲まれている。日暮れてきた。日本窒素の社宅街を収容所にしているという。 「社宅は満杯だから、適当に寝場所を探してくれ」 と、触れがきた。 この頃になると階級意識はすっかりなくなり××君とか××さん、等と呼 ...
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今夜はこの浜辺で一泊だ。浜辺に座ると太陽で温められた砂地が心地よく、眠気を誘う。 昨年九月、モルドイ村へ連行される途中、一泊した夜の猛吹雪に凍えたことを思い出した。 今日も食事なし。砂浜に横たわっていると、背中が温まり、空腹なのに眠ってしまった。何度か目覚めその度に澄んだ夜空の星をみつめた。 翌朝、無蓋車に乗車。最初の駅 ...
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乗船してみて日本海を横断するには、船が小さ過ぎると思った。その上、甲板と海面の差は一mあるなしである。これでは日本帰還は危険だ。とすれば、ここから遠くない地に私たちを運び、体力を付けさせて再びシベリアへ送り返すのではないかと、悪い方に考えが傾く。 しかし、目の前には朝鮮北端があり、右側の満州に地続きである。いずれも冬季の厳し ...
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ノーバヤを出発する時の角砂糖二個といい、今日の桃缶といい、かつてなかった些細な待遇改善は、間違いなく帰還の前触れかもしれない。 ソ連は捕虜の送還に当たって、少しでも良い印象を与えておこうと、子供騙しのような気配りをしたのだろう。あれ位のことでよい印象など、日本に持って帰るわけにはいかないよな、と奴らの浅知恵を笑ったものだった ...
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女性ばかり四人が鉄橋に立ちはだかっている。鉄橋の修理をしているらしい。本来なら男がやる仕事を、女性の労働者が夜中にやっていた。第二次世界大戦で男手が不足したためだろうが、それにしても労働意欲の素晴らしさに感嘆した。 翌日、海辺に到着した。ここが終点であった。プラットホームも駅舎も何もない。これから先はレールがなかった。海辺に ...
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駅舎の屋根の上にロシア文字が六個並んでいる。通りがかりの人にその文字を指差すと 「ハバロフスク」 と、教えてくれた。 広い入口から待合室に入ってみる。薄暗い内部は旅人らしい人々で混雑している。その人達に混ざって、小柄でやせ細っている私が動き回っても誰一人咎めようとしない。煙草を吸っている人を眺めていると、彼は二本を箱から抜 ...
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(後年ブラジルに移住し、サンパウロ州ピエダーデ郡に小農場を構えた当初、丘下の小川で水を汲んでは、中腹の住居まで運ぶ日がしばらく続いた。急坂を三〇〇m余りも運べる水の量は限られていた。井戸が完成するまで、シベリアで見たあの光景を思い出し、夕方の仕事をおえると、コップ一杯の水で上半身を拭いた。 これは潔癖症の家内に、ひどく嫌われ ...
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一六、列車は東へ(一) 家畜並みの身体検査は終わった。通訳が私の方のグループに告げた。 「所持品を持って、至急ここに集まって下さい」 すぐ近くの屋根のないプラットホームに導かれた。貨物列車が停まっていた。一両に一六人づつ乗車する。貨車には一〇㎝ほどの厚さに、松葉が敷きつめられていた。薄い敷布団が等間隔に一六枚置いてある。 ...
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「広島はどこかね」 「市内の己斐町だよ」 「僕も己斐本町だ。駅前の高野食堂の息子の哲雄というもんだ」 「なんだ。高野さん、谷口ですよ。新京ではお世話になりました」 高野さんは私が入隊前勤務していた満州電信電話株式会社の大先輩で、しかも同じ町内の出身である。数回食事を共にしている。 彼は堰を切ったように、一気に喋りはじめた。 ...
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