臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(26)
そして1908年6月18日、笠戸丸がサントスに入港した。ブラジル初めての正式な移民が下船したのだ。781名の契約労働者と12人の自由渡航者だった。793人の先駆者のうち324人が沖縄出身だった。19
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(25)
1883~1890年には36万7000人の百姓が税金の滞納で、土地を没収された。 1884~1886年には生産可能な農地の7分の1が抵当としてとりあげられた。 金持ち地主は競売により没収された土
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(24)
彼はいつも競馬場にいた。ある物ない物すべてを賭けていた。動産、不動産、すべての財産を賭けごとにつかい、借金だけが膨らんでいった。そして家族まで失ってしまった。 それは長男である哲夫の将来に大きく影
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(23)
しかし、正輝、その家族、隣近所の人、新城の村、沖縄全土の人々がどんなに愛国心をもっていたとしても、島を容赦なくおそう自然の脅威、あるいは政府の性急すぎる社会的、経済的変革のあおりを受けて、それが正当
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(22)
ときには、ご先祖さまは家族が抱えている問題はすべて見通しで、家族の対応はその問題に即しているからそのままつづけるようといって、みんなを安心させた。 学校では当時の他地方の日本人の子どもと同じように
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(21)
日露戦争は1904年2月10日、にはじまった。対戦は朝鮮と中国の地で、海上では日本と朝鮮の間の対馬海峡で火蓋がきられた。ロシア軍は朝鮮を侵略した。日本海軍はロシアの手中にあった旅順を攻めた。地上では
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(20)
1900年、山東省で、義和団(Boxers)が中国に滞在する外国人に対して内乱をおこし、北京の諸国公使館を包囲した。日本は速やかに、そして密かに(中国の一部を支配しコントロールしようと企んでいる諸強
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(19)
もうひとつ臣民が従うべきこと、それは武勇を重んじることだった。 「上級のものは下級のものに向かって、少しも軽んじて侮ったりしてはならない。そして、下級のものは上級の者を畏怖すべきではない」 また、
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(18)
この教育制度こそは、それまでの封建的な武士政権にあって、三世紀も世界の発展からとり残され日本に、世界と肩をならべるほどの大きな活力をもたらしたのだ。 教育改革法は1872年に発布されたが、それによ
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(17)
明治政府は多種の工業施設を開発し工業からあがる利益を、急速に増加する国民の食料を輸入することにより、国内の農産物不足の危機を乗り越えようと、やっきになっていたのである。 その点、沖縄は不利な状態に