自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治

  • 茅葺校舎前の生徒たちと先生

    自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(6)

     学校もこれまでの一号線校とラス・ペタ校が合併してヌエバ・エスペランサ校(本部校)となり、パイロン校とリオ・グランデ校も合併しパイロン校(分校)となった。僕の家から本部校までの距離は約8キロもあったの

  • ユイマールで住宅造り

    自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(5)

     母にブラジルの都会に再移住する、と告げると、母は大変喜んでくれた。11年間のボリビア移民地での精神修養、僕にとっての「無形の財産」となっているものは、[一人の女性の縁の下の力持ち]から学んだ今は亡き

  • 原始林の中の動物たち

    自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(4)

     時間が経つに連れ、原始林の中に三線の音が鳴り響き、老若男女が一体に成り、カチャーシーで喜びを分かち合っていた。沖縄に居たころは、「ユイマール」という言葉さえ聞いたことがなかったが、ボリビアに来て初め

  • 原始林の開拓

    自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(3)

     密林の中には、野生の吼え猿、七面鳥、山アヒル、名も知らない野鳥の群れがグァーグァー叫び、山の中を響かせていた。まさに野鳥の天国である。イノシシ、鹿、山猫、大蛇等の動物にも出会った。豹、トラも出没する

  • ボリビア出発前に家族記念写真。父・宏芳(こうほう)、母・光(みつ)、弟・宏(ひろし)、茂(しげる)と共に

    自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(2)

     その数日後、第7次移民者に与えられた配分地は、ラスペタ(山亀)区地域と名づけられた。この地域の一部には、その昔牧場があったという跡地がそのまま残っていた。子牛が生まれる度に野獣に襲われ、牧牛を増すこ

  • ボリビア移民のはじまり。1954年6月19日、第1次移民269人が那覇港を出航する様子

    自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(1)

      ボリビアの原始林に囲まれた入植地は、まさに昼なお暗くという感じだった。蚊はびっくりするほど大群で襲ってくるため、蚊の多い夏の方が、沖縄の米軍の払い下げH・B・Tカーキーのジァンバー長袖などを着込ん

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