今年になってこの地方は、アーリョの旋風が起こっている。それは、新品種として発見されてアーリョ・ショウナンが本年度始めて出荷してみて、サンパウロ中央市場で認められ、色艶といわず、身のしまり工合といわず好評を得、売れ行きは上々で高値をよび、その上、農務長官の認可も得て登録されたからである。 あまりの人気に食指を動かされた鹿さんも、 ...
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死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(10)
そして、ブラジルのウチナーンチュであることを誇りに思っている。それにしても、「カッペン移民」は「無謀な移民であった」、と言い切って許されることなのか、と。 確かに、「無謀」と言われても仕方がない面があったことは事実である。それでは、何故この「無謀」が許され、71人家族423名もの県人同胞が送りだされたのか。その原因と社会的責任 ...
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しかし、言葉もうまくできないし、事情もつかめず、商売のやり方もままならず、結局やめて別の食品店に転業した。それもうまくいかず途方にくれているうちに、やはり自分は自分の「ティージェーク」で身を立てるしかない、ということで看板屋をはじめることにした。 こうしてビラ・カロンのアベニーダに開店した。開店まもない頃、カンポ・グランデから ...
続きを読む »死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(8)
私は、このお金を上間耕地に残したままの7家族を呼び寄せるための資金にした。本当にありがたい尊い救いのお金であった。 この7家族の仕事口を比嘉真繁さん、石川盛得さんらカンポ・グランデ沖縄県人会の幹部であった方々が、あっちこっちのファゼンダに当たって借地農の仕事を見つけて下さった。比嘉さん、石川さん達の恩愛の情、そのチムグクル、志 ...
続きを読む »死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(7)
この耕地は、まだ未整地だったが、土地は大変肥沃だった。若い連中は共同で住家を作り、山羊小屋作りにせいをだした。年寄りたちは荒地を耕し米を植え付けた。稲はたちまち育ち豊作であった。 ところが、収穫直前になって40年ぶりといわれる大雨に襲われてしまった。この土地は盆地のように低い土地だったので、一挙に水害にみまわれ、滝から水が襲い ...
続きを読む »死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(6)
出迎えのトラックが、3名の青年と共にやって来てすぐに積荷を始めた。3日目に積荷を完了し、全員がカッペンを後にした。 カッペン耕地を出て、入ってきたコースを悪戦苦闘しながら走り抜け、新しい耕地に入植した。この新開地もまた、最初から森林の開墾、掘立小屋の新築と、昼夜についで全力を尽くした。例のとおり、主食の米の植え付けが最優先作業 ...
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他の家族の人々もこれに感染した。カッペンは、最初から医療施設もなく、無論医者は一人もいない。手の施しようも無く、日本から持参してきた少量のマラリア薬とか、熱さましなどを服用させ、その場しのぎの有様であった。 数日がたって、若い18歳の又吉青年が危篤に瀕した。高熱と震えがとまらない。500キロもあるクィアバー市に、オンボロトラッ ...
続きを読む »死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(4)
ちょうど種蒔時期で寄せ焼きにいそしみ、初めての主食・米の種蒔で賑わい始めた。その意気込みは大きく期待に応えるかのように稲の発芽は思いのほか早やかった。 ところが、稲はなかなか伸びず、生育がおもわしくない。一方、トウモロコシを種蒔してもこれまた同じで、発芽して20糎ほどのびると、そのまま生育せず紫色に変わり、枯れて行くありさまで ...
続きを読む »死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(3)
振り返ってみて、自分達が夢にまで見た入植地カッペンが、こんなにも難関で遠隔の地とは思いもよらなかった。 地図で見るブラジル大陸と、今辿ってきた現実の道程、その差はこれほどまでに予想に反するものかと、ブラジルの大陸の広大さを改めて実感せずにはおれなかった。幻の理想郷―地獄谷の苦しみ 入植地までの道程は、まだ程遠くあり、これから更 ...
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カッペンへの道―過酷・辛苦な道のり 見ず知らずの他人でありながらの親切心に、「イチャリバチョーデー(一度会ったら皆兄弟)」のチムグクル(真心)に胸が熱くなったことが思い出される。 駅で荷物を受け取り、次の目的地に向かった。3台のトラックを借り受け荷物も人間も一緒に乗り合わせて、約900キロの行程のでこぼこ道を、昼夜を通して3日2 ...
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