連載小説
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(240)
正輝は1954年12月3日、書類に署名し、弁護士の事務所の隣のプラッサ・ダ・セー291番地のサンパウロ第5登記所に登録した。 正輝のの尋問書にはこう書かれている。 「これまでの調査で指摘された証拠
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(239)
それから1年も経った1954年10月30日、アララクァーラ住民の尋問が再開された。高林明雄の番だった。高林延太郎、ヌイの息子で、静岡県出身、44歳、商業を営み、居住地はサンベント街1151番地。
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(238)
藤森坂松は1953年2月27日、第一地区裁判所の長官がシーセロ・トレード・ピザのとき、尋問を受けた。山口県出身の藤森は当時、62歳だった。両親は藤森初次郎、藤森キミで、ずっとアララクアァーラに住み、
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(237)
総領事館に経済的援助を申しでたり、暴力沙汰を起こすものもでた。多くの会員が日本からきたとき泊った移民収容所に収容された。そして、1年少しで解散した。 その出来事は正輝に自分がいまだに裁判の判決を受
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(236)
日本人から「桜組」と呼ばれたこのグループはすぐ見分けられた。カーキ色の制服を着、同じ色の軍帽を被って、グループをくんで歩くからだ。彼らの目的は「日本に引き上げる」ことだから、敵国から日本に帰るという
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(234)
しかし、正輝にとっては意味がある。これまでの生活を打切り、新しい生活を踏みだす機会になるような気がした。 正輝には未だに実感がなかった。8年か10年ほどまえ、それまでの習慣を打ち切った。子どもたち
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(233)
たしかに、近づいてくる人たちのなかに、見違えるほど整った服装のネナがいた。だから、ツーコはネナだと気づかなかったのだ。三人は懐かしさのあまりネナのほうに走った。ネナはきれいに着飾り、パーマまでかけて
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(232)
すでにラジオはそれほ入手困難ではなかったが、一家にとっては困難だった。中心地には店がたくさんあり、月賦払いでも買える。 正輝は現在サンパウロの「トコロビイ」とかいうところに住んでいる旧友津波元一の
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(231)
ネナは料理やその他の家事をしっかりと、文句も言わずにこなしていた。それを房子がひき継ぐわけにはいかないと正輝は考え、ほかの娘にその役をさせた。結局、10歳になったヨシコに料理を、ツーコに家事をさせる
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(230)
親戚や友だちの家族に対してもブラジル人との結婚を絶対にゆるさなかった。子どもたちが恋愛や結婚の相手に日系人以外を選ぶなど、彼には考えられないことだった。また、日系人以外のだれかが子どもと交際したいと