連載小説
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(116)
この方法を取れば、その場で一番融資を望む者は高い金額を記入する。金を必要としない人は金額を書かないこともある。融資を獲得したものはその場で、みんなに利子を払い、残りの全部を受け取る。頼母子期間の終了
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(115)
幸い、学校はそう遠くなかった。灌水用水門の先のボア・エスペランサ・ド・スール街道に出る土の道を歩き、オウロ川の向こう側の石切場を通り、ボア・エスペランサに向けて歩く。アララクァーラを通り過ぎ、500
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(114)
断片的にせよ、部分的にせよ、情報は日本人たちにきちんと伝わっていた。まぎれもなく強国アメリカに抗する作戦が成功し、アジアへの侵攻速度を増したことが伝わっていたのだ。軍事力の優位が戦場で示され、天皇の
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(113)
1941年11月5日、同月末日までに対米外交交渉を行うよう指令がだされたが、11月26日、アメリカは日本側から提示された条件を否定した。 12月1日、東京で軍事および文民閣僚出席のもとに御前会議が
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(112)
外交面で、日本は国際連盟を脱退して以来、孤立状態にあり、同盟国を必要としていた。共産主義に異議をとなえるヒットラーの国ドイツとロシアの地に侵入したい日本が接近した。そして、1938年その交渉が始まっ
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(111)
1938年4月18日発令の第383令により、外国から資金を受けず、法務省と内務省に合法的に登録された文化、民間、慈善の協会だけが認められることになった。 この間、新国家体制は外国人の活動を押さえつ
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(110)
その卑しい生き方がわが国の労働者と摩擦を引き起こしている。利己主義、不誠実、不従順な生活がブラジルの最も肥沃な地域に民族的、経済的、文化的な異分子集団を形成している。同化させる手段など皆無といえる。
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(109)
その当時、同意見の者がほかにもいたが、ミゲル・デ・コートやフェリックス・ペシャコに扇動され、すでに排日運動が始まっていた。1926年、コートは全国に警告を発した。 「わが祖国は無防衛のまま、アジア人
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(108)
そして、ブラジル人やヨーロッパ系移民はこのような発音を嘲笑して、日本人を「ジャポン」と呼んだ。こうした呼び方が広まるうちに、皮肉をまじえて、なかには横柄に、命令的な話し方をするものもあった。 「ジャ
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(107)
第7章 戦争と迫害 母国から遠くはなれて住む者の生活の変還、成功や物質的向上の確かな前途の見通のなさ、また、ヨーロッパ民族、ブラジル人、その他の人たちと意思を通じることの難しさが重なり、日本人移民は