連載小説
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(84)
メーガーじいさんはグァタパラ耕地から、そのころアララクァーラ市に属していたリンコンに移った。正輝が町に移ったころ、前川はジョセ・ボニファシオ街699番地に住んでいて、すでに大勢の子どもがいた。長女は
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(83)
当時のブラジル時報紙は 「モトゥカでは入植者はすぐにコーヒー樹を植えつけ、棉、米、トウモロコシ、そして、蚕の飼育をはじめた。病気や債務に打ち勝ち、文字通りなにもなかった状態から現在の基礎をつくりあげ
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(82)
3日目に、また、症状がぶり返した。はじめのときよりは軽いが、まったくあの時と同じ状態をくり返した。はじめ寒気をもよおし、唇が紫色に変わり、吐き気がして、震えがくる。そのあと、熱があがり、汗をかき、喉
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(81)
子どもが沖縄人のグループだけに閉じこもるのをおそれ、両親は一生懸命日本語を教えていた。体が冷えて肌がカサカサしていた。唇はわけのわからない青い色になっていた。歯をガチガチさせ、体を縮め、額にしわがで
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連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(80)
ブラジルに親類がもう一軒増えたことは、房子にとって、ここで生きる苦労をやわらげてくれるものだった。自分より何年か前にきた人たちと同じように、がんばろうという気持ちが強くなる。最近の移民は初期の移民よ
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連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳= (79)
頭は肝臓と同じように栄養価の高いスープを作るために自分に確保した。頭はハヤトウリのスープではなくケールのスープを作るだしにするためだ。盛一も正輝もケールを日常食としていつも畑に絶やさなかった。 腿
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連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(78)
チオンはたまに盛一や正輝に手を貸した。農作業を手伝ったり、家屋の修理をしたりするのだが、報酬は何杯かのピンガや何本かの葉巻タバコだったりした。収穫期には収穫物のほんの一部をもらった。気がきき、実直で
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連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(77)
「たらいを洗って、そばにおいて」 「タオルをもってきて」 こうやって、正輝を助手に1934年10月30日の夜、房子は長男を産んだ。 正輝は「男だ」と叫んで、子どもをとりあげると、妻がいっておい
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連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(76)
また、本屋もあり、正輝は長い時間を、そこですごした。本棚にはブラジルで出版された日本語の本、何か月ごとに日本からとどく本、それに古本も並んでいた。サンパウロに留まっているあいだ、正輝は売られている多
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連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(75)
1926年、日本政府が沖縄人の移民枠を削減したとき、翁長助成はサンパウロ州の各地に散在する同郷の有力者によびかけ沖縄協会を結成し、その初代会長となった。会の目的は政府の移民枠削減をくつがえすことにあ