彼はいつも競馬場にいた。ある物ない物すべてを賭けていた。動産、不動産、すべての財産を賭けごとにつかい、借金だけが膨らんでいった。そして家族まで失ってしまった。 それは長男である哲夫の将来に大きく影響した。沖縄の習慣に従い、長男としてこの地にとどまり、ブラジル移住を断念しなければならかった。家名をひき継ぐということは父の借金を ...
続きを読む »連載小説
臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(23)
しかし、正輝、その家族、隣近所の人、新城の村、沖縄全土の人々がどんなに愛国心をもっていたとしても、島を容赦なくおそう自然の脅威、あるいは政府の性急すぎる社会的、経済的変革のあおりを受けて、それが正当か否かは別として、施行された土地分割や生活手段の変わりように耐えることができなかった。それは辛抱強い、運命をあまんじて受ける沖縄人 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(22)
ときには、ご先祖さまは家族が抱えている問題はすべて見通しで、家族の対応はその問題に即しているからそのままつづけるようといって、みんなを安心させた。 学校では当時の他地方の日本人の子どもと同じように、天皇制の重要性をならい、まず、天皇の神性を浸透させるために天皇崇拝が欠かさずおこなわれた。 天皇制政府は八世紀にはじめて日本の ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(21)
日露戦争は1904年2月10日、にはじまった。対戦は朝鮮と中国の地で、海上では日本と朝鮮の間の対馬海峡で火蓋がきられた。ロシア軍は朝鮮を侵略した。日本海軍はロシアの手中にあった旅順を攻めた。地上では日本陸軍はまず、中国の遼東半島を、そして3ヵ月で旅順を手にした。日本軍は遼東半島からロシア軍を北へ北へと撤退させていった。最終的勝 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(20)
1900年、山東省で、義和団(Boxers)が中国に滞在する外国人に対して内乱をおこし、北京の諸国公使館を包囲した。日本は速やかに、そして密かに(中国の一部を支配しコントロールしようと企んでいる諸強国を刺激しないよう)当地にいた半分の隊で騒ぎを鎮圧し、平常にもどした。 このとき、日本人は自国こそこの地方の安定を保ち、自分たち ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(19)
もうひとつ臣民が従うべきこと、それは武勇を重んじることだった。 「上級のものは下級のものに向かって、少しも軽んじて侮ったりしてはならない。そして、下級のものは上級の者を畏怖すべきではない」 また、質素であるべきであることも公民に求められた。 「軍人は質素を第一とするべし。武を軽んじ文を重んじるようになれば、人は軽薄になり、贅 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(18)
この教育制度こそは、それまでの封建的な武士政権にあって、三世紀も世界の発展からとり残され日本に、世界と肩をならべるほどの大きな活力をもたらしたのだ。 教育改革法は1872年に発布されたが、それによると、日本は八つの教育地域に分けられ、各地域には1つの大学、32の高等学校が設立された。また、高校1校につき、210校の小学校が設 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(17)
明治政府は多種の工業施設を開発し工業からあがる利益を、急速に増加する国民の食料を輸入することにより、国内の農産物不足の危機を乗り越えようと、やっきになっていたのである。 その点、沖縄は不利な状態におかれていた。島の経済は砂糖キビの単一農業で、しかも砂糖価格は常に国際市場に左右される。島の生活はいつも不安定なものであった。 ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(16)
正輝の父、忠道の怒りは当然だが、鹿児島の支配下にいるのがいいという意見だった。この新しい県の行政を司る人間、それは絶対に優秀な薩摩の旧藩士で、沖縄をよくしる現在の鹿児島県人でなくてはならなかったのだ。それが政治家であれ、軍人であれそしてまたは平民であれ。 1892年、天皇から男爵の称号を受けた尊大な旧薩摩武士、奈良原繁(なら ...
続きを読む »臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(15)
一方、明国は経済的にも軍事的にも最強で、みんな明国を怖れており、武家政治下にあった日本も中国に対し、これに似たやりかたを踏襲していた。極東全域の小国が中国への服従を示すことで、いざこざを避けようとしたのである。ようするに、中国は平和の守護神という役割だった。 そのうち中国の注意を喚起しないような方法ではあるが、自分たちの欲望 ...
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