連載小説
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(4)
自分が誇らしく思えた。つり合いがとれていた。西洋スタイルの晴れ着、そして、遠い西洋の輝かしき日…。 それは1918年7月17日、木曜日の朝、9時半過ぎのことだった。 「ディカ、セイコウ!(正輝!
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(3)
第1章 航海中の惨事 肌をさす冷たい突風がふいて、正輝はブルンと身震いしたが、その冷たさが快くもあった。三ヵ月たってはじめて目にする広い空だった。雲ひとつ見あたらない。すがすがしい青色は、故郷の冬晴
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(2)
最終的に日本の敗戦を認識し、日本にはもう帰れないという厳しい現実に直面したとき、はじめてブラジル生まれの子どもたちの教育に的が絞られた。農業をすて、都会で生き延びる方法を模索したのである。こうして、
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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(1)
はじめに 保久原淳次ジョージ この本は後部の参考書および訳注・備考欄に記載した記録および作者が収集した証言、あるいは本人の記憶によるエピソードなどを記したもので、登場人物はすべ
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(73)
(三)ブラジル日系文学誌の選者の一人の評について ブラジル日系文学№二六(二〇〇七年七月)に、体験記として『私のシベリア抑留記』が掲載されたが、これは編集者に乞われたからである。原稿用紙三〇〇
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(72)
彼は私が遠いブラジルからわざわざシベリア墓参に参加したのは、同時にあの当時の仕返しをするためではないかと勘繰り、絶えず私の動向を見守っていたのだ。だから訊ねもしないのに小之原が死んだことや、モルドイ
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(71)
私はあの夢と同じように、裏へ回って勝手口の戸を開けた。台所の板の間に両親は並んで行儀よく座り、私の帰りを予期していたかのように私を見つめた。二年の間に、すっかり老いてしまった両親の頬に涙が流れた。
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(70)
夕方握り飯を二個支給され、隊列を組んで緩い坂を上がったところに駅があった。ここで東さんと惜別する。彼は別の車輌に乗車することになったのだ。一旦田舎の父母の下に帰り、善後策を考えるということだった。
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(69)
灯りの向こうの暗闇に故郷の山川があらわれて、よくぞ生きて帰ってきたと、語りかけてくるようであった。真冬の日本海上、灯りが見えなくなるまで佇ちつくしていた。吹きつける寒風を暖かく感じながらー。 生涯
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(68)
ソ連軍将校の中には日本語を私たちより上手に話すものがいる。彼もその一人で連れの将校も、理路整然と語った。東さんがみんなを見回して言った。 「俺たちが生きて帰ってこそ、死んだ戦友たちの霊も浮ばれると思