連載小説
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(67)
「先程の質問にたいしては、資料がなくて答えられない。しかし増産態勢にあることは確実である。明日要求にあった鉛筆とノートを用意する」 上級将校は鮮やかな日本語で説明し、私に向かって微笑して去った。翌日
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(66)
福岡県の炭鉱で働いていたことなど問わず語りに分かり、だが何故降格されたのか、佐世保で別れるまで打ち明けなかった。 復員後二年近く文通し、以前の炭鉱で働いていると小まめに身辺を知らせてくれていたが、
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(65)
どのくらい貨車に揺られていただろうか。大きな駅に着き貨車から降りた。元山である。また一歩日本が近くになった。元山まで来ていることは、確かに帰還することに間違いないはずだが、一度思いきりよく騙されてい
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(64)
すきっ腹をかかえ寝ころんだ。寒風が吹き込まないから、扉なしのセメント床の上でも寒さを感じない。 後側の板囲いの上部の空間を眺めた。急傾斜の小山に木の十字架の墓標が、ビッシリ立っている。ソ連は無宗教
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(63)
こんなやり方は初年兵の一人が、在郷軍人から教えられたものらしい。初めての入浴日、私は悠々と湯につかり、あがって石鹸で体中の垢を落とした。再び湯につかろうと浴槽に入った。古年兵らしい二人が浴槽にいるだ
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(62)
一六、列車は南下する ソ連側は行き先を発表しないが、刻一刻と日本が近くになっていることは確かな事実であった。 翌早朝列車は動き出した。昼頃荒野原の真ん中に停車した。前方車輌から 「後へ逓伝。各
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(61)
あっけにとられている私を引張って、大きな切り株の陰に行く。大き目の空き缶に高粱をざっと入れ、水筒から水を注いだ。石を積んだカマドに枯れ枝を重ね、マッチで火をつけて、缶を載せた。 マッチなど、ラーゲ
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(60)
そのおっとりした感じが、今も残っている。 「甲種か乙種か」 と、訊ねると 「甲種だった。海拉尓の経理学校へ入学することになった。谷口はどちらだ」 現金なもので、同年で同年兵だと分かると、先輩後
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(59)
この伐採はあの将校の個人の商売で、賃金を払わなくてよい捕虜を使って、切り出した材木を売り、儲けていたことが帰りの話題になった。通訳がばらしてくれたのだ。だからカンボーイは私たちの怠慢を見ぬふりをした
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(58)
大八車二台に食糧を積み、交替で荷車を引きながら、日盛りの小峠を越えた。夕方着いた伐採地は、幅五mの川の傍で川の両側には低い山並みが押し寄せている。すでに他の伐採班が従事した後であった。 宿舎は川の