連載小説

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(57)

     私はすでに正夢を体験している。あの夢の続きの最後は、わが家に帰えりついて父母にあっている。だから帰還は実現するはずである。死ぬはずはないと強く自分に言い聞かした。  下痢は一日一回程度におさまった。

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(56)

      九、天罰覿面  欲の皮が突っ張って、その日の夕方から下痢が始まった。天罰覿面とはこのことか。下腹が痛み便所通いの回数が増えていく。薄粥に慣れきっている胃袋が、だしぬけに固い飯を飯盒二杯と炒りトウモ

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(55)

     先日の薪採りで推測した通りであった。噂では五千人は収容されていると言うことであったが、噂ほど当てにならないものはない。  見習い士官の服装をした青年がでてきた。 「ソ連軍の命令により、一日当たり二コ

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(54)

     毎日一〇数人か三〇人ぐらい、死んでいると専らの噂である。ラーゲリで奴隷以下の家畜のように扱われ、衰えて病弱者になった。そして命は取り止めたが役に立たないと言うことで、北朝鮮まで来たものの病が重くなっ

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(53)

     そんな彼はいかにも手に負えない兵隊に思えたが、こうして身近に接していると、意外にも好人物であることが分かってきた。一見ぎょろ目で髭は濃く、取り付きにくい感じなのだが、たまに冗談を飛ばしたりして、いつ

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(52)

      三、収容所(日本窒素K・Kの社宅街)  間もなく有刺鉄線を張り巡らした収容所に着いた。監視塔は見当たらない。周囲は山で囲まれている。日暮れてきた。日本窒素の社宅街を収容所にしているという。 「社宅

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(51)

     今夜はこの浜辺で一泊だ。浜辺に座ると太陽で温められた砂地が心地よく、眠気を誘う。  昨年九月、モルドイ村へ連行される途中、一泊した夜の猛吹雪に凍えたことを思い出した。  今日も食事なし。砂浜に横たわ

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(50)

     乗船してみて日本海を横断するには、船が小さ過ぎると思った。その上、甲板と海面の差は一mあるなしである。これでは日本帰還は危険だ。とすれば、ここから遠くない地に私たちを運び、体力を付けさせて再びシベリ

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(49)

     ノーバヤを出発する時の角砂糖二個といい、今日の桃缶といい、かつてなかった些細な待遇改善は、間違いなく帰還の前触れかもしれない。  ソ連は捕虜の送還に当たって、少しでも良い印象を与えておこうと、子供騙

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(48)

     女性ばかり四人が鉄橋に立ちはだかっている。鉄橋の修理をしているらしい。本来なら男がやる仕事を、女性の労働者が夜中にやっていた。第二次世界大戦で男手が不足したためだろうが、それにしても労働意欲の素晴ら

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