連載小説

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(47)

     駅舎の屋根の上にロシア文字が六個並んでいる。通りがかりの人にその文字を指差すと 「ハバロフスク」  と、教えてくれた。  広い入口から待合室に入ってみる。薄暗い内部は旅人らしい人々で混雑している。そ

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(46)

     (後年ブラジルに移住し、サンパウロ州ピエダーデ郡に小農場を構えた当初、丘下の小川で水を汲んでは、中腹の住居まで運ぶ日がしばらく続いた。急坂を三〇〇m余りも運べる水の量は限られていた。井戸が完成するま

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(45)

      一六、列車は東へ(一)  家畜並みの身体検査は終わった。通訳が私の方のグループに告げた。 「所持品を持って、至急ここに集まって下さい」  すぐ近くの屋根のないプラットホームに導かれた。貨物列車が停

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(44)

    「広島はどこかね」 「市内の己斐町だよ」 「僕も己斐本町だ。駅前の高野食堂の息子の哲雄というもんだ」 「なんだ。高野さん、谷口ですよ。新京ではお世話になりました」  高野さんは私が入隊前勤務していた満

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(43)

     終戦後連行された捕虜たちは、右の適性検査をされないで、一様に重労働にこき使われた。その上食料はまるで足りなかった。二五四連隊が放りこまれた三収容所では、終戦からその年の末までの約一三〇日間の兵の食料

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(42)

     (註=一九九二年五月末、この丘の大穴の埋葬地に墓参した時、あの松群を真っ先に探した。あった! あの時より成長していて、倍以上の高さになっていた。  思わずそのことを言うと、五〇年近い年月が過ぎている

  • 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(41)

     有田は台に残されたパンを私達に渡し、例のパンを適当に五つに分けて配った。つまりパン一個を横領したのである。将校がやった横領は、そのために多くの兵を餓死させた。今、下士官が見せた横領は、将校のやったこ

  • 自分史=私のシベリア抑留記=(40)=谷口 範之

     下士官連中は、丸太壁の周囲三方の上方に板を棚状に造作して寝床にしていた。一般兵は床板にごろ寝であった。比嘉伍長は 「あの谷口だよ」  と、簡単に紹介しただけでその日から私は彼らの仲間になった。だれ一

  • 自分史=私のシベリア抑留記=(39)=谷口 範之

     食事を終え、いつものように病室を覗いて患者の様子を眺めた。舞台上の下士官連中が、一斉に私を見て手招きしている。傍に行くと、 「さっきはよくやってくれた。将校の食缶の件も聞いているぞ」  古参の下士官

  • 自分史=私のシベリア抑留記=(38)=谷口 範之

      九、病院勤務(二)  患者用の半粥の中に二度だけ、極く少量の牛の内臓のコマ細切れが混じっていたことがあった。看護人は患者に粥だけを配り、内臓の細切れは郷土の先輩である軍曹の飯盒へ全部入れていた。軍

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