岡本は空小屋に二日間も放りこまれた。解散したはずの軍なのに、小之原の強圧的な暴挙に、ますます怒りを覚えた。岡本はよく耐え、三日目に宿舎に帰ってきたが、以後人が変ってしまって誰とも口をきかなくなった。 私が四月末にラーゲリを出発する頃まだ元気でいたが、あれ以来会っていない。生還しただろうかと、いまだに気に懸っている。 軽 ...
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自分史=私のシベリア抑留記=(34)=谷口 範之
鳥の鳴声もなく、深い静寂がたちこめている中にたった独りでいると、冬枯れの林が私を見守ってくれているような錯覚を起す。逃亡は今だ。誰もいないと、ささやく声がした。見回したが誰もいない。冬枯れの樹々ばかりである。手に持った黒パンの匂いに、幻聴だったと我にかえった。 大木の切れ端を起す。直径八〇㎝もある。パンは捕虜用と違い食パン型 ...
続きを読む »自分史=私のシベリア抑留記=(33)=谷口 範之
金曜日の夕方になると、一〇人ぐらいの黒パン受領係が任意で募集され、丘のすぐ下のパン工場へ受領に行く。急坂を下って工場に着くと、一人当り一㎏パン五コを入れた叺(かます、袋の一種)を渡される。それを担いで暗い急坂を登るのはつらいということだった。 この運搬中、暗闇を利用して黒パン一コを掴みだし、ふところに隠して持ち帰る役得がある ...
続きを読む »自分史=私のシベリア抑留記=(32)=谷口 範之
柵と柵の間は一m巾、内側の柵の高さは二・五m、中央の柵の高さは三m、有刺鉄線は一五㎝間隔に張りめぐらしてある。カンボーイに咎められないで、どうやってあの狭い間に投げ込んだのだろうかと一瞬考えた。が、思わず柵に駆けよった瞬間、銃声と同時にパシッと弾丸が頭上近くを走った。ハッと首をすくめて立ち止った。右上隅の監視塔から射ってきたの ...
続きを読む »自分史=私のシベリア抑留記=(31)=谷口 範之
ラーゲリ到着後、塩汁や高粱汁で耐え続けた兵らは、たまりかねて所内の枯草を食い空腹を押さえていた。小之原は日本の兵隊が枯草を食うのは見苦しいと言って、枯草を引抜かしてしまった。私たちは命の綱にも等しい枯草まで絶たれた。 自分は腹一杯食っているにも拘らず、塩汁だけの兵には、平然とそんなことをして、恥じるところがなかった。 小之 ...
続きを読む »自分史=私のシベリア抑留記=(28)=谷口 範之
一方、衛兵所と将校宿舎の間の小舎は、軽症患者用病棟として三六名が収容された。共同宿舎第二棟は、回復期にある一〇〇余名が集められた。医者もいなければ薬品類皆無で、病人の自力回復待ちの有様なのに今更病院でもあるまいと思っていたら、国際赤十字社が医者を派遣し視察団を同行するとのことで、急に病院や病棟を設置したということだった。くだら ...
続きを読む »自分史=私のシベリア抑留記=(27)=谷口 範之
将校、炊事班一一人は発疹チブスの伝染を恐れて、患者も死者も放置していたのだ。そして死体の搬出を帰ってきた伐採班二五人にさせたのである。 昨年一一月以降、飢餓地獄に落ちた兵は衰弱しきった揚句、病に斃れ苦しみながら息絶え、残ったものは息をしているだけの有様で放置されている。 兵営や戦場で死なばもろともと誓い合ったあの一心同体感 ...
続きを読む »自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(26)
もし私が耐えられずに肩を外して逃げると、四人は支えきれなくなってこの巨大な松材の下敷になるだろう。そうなれば、死ぬか大怪我をするに違いない。外の四人もそう思っているだろうと、渾身の力をこめてふん張った。 背骨の下方のあたりが、ピシピシと数回音をたて、思わず私はよろめいた。長棒組の二人が、すかさず材木の両端を支え、どうにか荷台 ...
続きを読む »自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(25)
墓参団が出発する前夜、新潟市のホテルで会い、すぐに四角な顔にメガネの彼を思い出した。松の原生林へ伐採の応援に行ったことを話した。すでに八〇歳をこえていた彼は、「ああ、覚えているよ。どこの兵隊かと思ったんだ。そうか君たちだったのか」と、遠くを見る眼差しになった。 彼は隊長であった。にも拘わらずあの伐採で腰椎を痛め、コルセットを ...
続きを読む »自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(24)
少し呆然とした様子で立ち上がった彼は、自分の両肩に手を置き、雪の上に両肩をつける格好を見せた。そして片方の手で雪の上を叩き、分かったかというように頷いた。私も分ったしるしに頷いた。彼はレスリングの負けた時の両肩を地面につけていないから負けていないと言いたかったのだろうと察した。 しかしもう一度やろうとはしなかった。彼は割った ...
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