連載小説
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自分史=私のシベリア抑留記=(35)=谷口 範之
岡本は空小屋に二日間も放りこまれた。解散したはずの軍なのに、小之原の強圧的な暴挙に、ますます怒りを覚えた。岡本はよく耐え、三日目に宿舎に帰ってきたが、以後人が変ってしまって誰とも口をきかなくなった。
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自分史=私のシベリア抑留記=(34)=谷口 範之
鳥の鳴声もなく、深い静寂がたちこめている中にたった独りでいると、冬枯れの林が私を見守ってくれているような錯覚を起す。逃亡は今だ。誰もいないと、ささやく声がした。見回したが誰もいない。冬枯れの樹々ばか
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自分史=私のシベリア抑留記=(33)=谷口 範之
金曜日の夕方になると、一〇人ぐらいの黒パン受領係が任意で募集され、丘のすぐ下のパン工場へ受領に行く。急坂を下って工場に着くと、一人当り一㎏パン五コを入れた叺(かます、袋の一種)を渡される。それを担い
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自分史=私のシベリア抑留記=(32)=谷口 範之
柵と柵の間は一m巾、内側の柵の高さは二・五m、中央の柵の高さは三m、有刺鉄線は一五㎝間隔に張りめぐらしてある。カンボーイに咎められないで、どうやってあの狭い間に投げ込んだのだろうかと一瞬考えた。が、
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自分史=私のシベリア抑留記=(31)=谷口 範之
ラーゲリ到着後、塩汁や高粱汁で耐え続けた兵らは、たまりかねて所内の枯草を食い空腹を押さえていた。小之原は日本の兵隊が枯草を食うのは見苦しいと言って、枯草を引抜かしてしまった。私たちは命の綱にも等しい
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自分史=私のシベリア抑留記=(28)=谷口 範之
一方、衛兵所と将校宿舎の間の小舎は、軽症患者用病棟として三六名が収容された。共同宿舎第二棟は、回復期にある一〇〇余名が集められた。医者もいなければ薬品類皆無で、病人の自力回復待ちの有様なのに今更病院
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自分史=私のシベリア抑留記=(27)=谷口 範之
将校、炊事班一一人は発疹チブスの伝染を恐れて、患者も死者も放置していたのだ。そして死体の搬出を帰ってきた伐採班二五人にさせたのである。 昨年一一月以降、飢餓地獄に落ちた兵は衰弱しきった揚句、病に斃
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(26)
もし私が耐えられずに肩を外して逃げると、四人は支えきれなくなってこの巨大な松材の下敷になるだろう。そうなれば、死ぬか大怪我をするに違いない。外の四人もそう思っているだろうと、渾身の力をこめてふん張っ
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(25)
墓参団が出発する前夜、新潟市のホテルで会い、すぐに四角な顔にメガネの彼を思い出した。松の原生林へ伐採の応援に行ったことを話した。すでに八〇歳をこえていた彼は、「ああ、覚えているよ。どこの兵隊かと思っ
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(24)
少し呆然とした様子で立ち上がった彼は、自分の両肩に手を置き、雪の上に両肩をつける格好を見せた。そして片方の手で雪の上を叩き、分かったかというように頷いた。私も分ったしるしに頷いた。彼はレスリングの負