連載小説
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(23)
想像した通り、彼は樵の監督であった。厚い荒削りの大きなテーブルを前にして、笑顔の彼は座れと手真似をした。そして縁の缺けた湯呑を四つ並べ、缶から茶の葉を一つまみづつ入れて熱湯を注いだ。それから棚の壷を
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(22)
三日目にはノルマ五本を達成し、以後順調に伐採は進んでゆく。平穏な日々が過ぎカンボーイは一度も『ダバイ』(早くしろ)と怒鳴ることはなく、終日焚火にあたりながら時々、猟に林の奥へ出掛けた。銃声は聞こえる
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(21)
伐採は重労働である。もしかすると労働に耐えかねて衰弱死するかもしれない。このラーゲリにいても衰弱死は目に見えている。ならば伐採とラーゲリの生と死は五〇対五〇の半々である。半々ならば境遇を転換させて伐
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(20)
三月中旬の厳寒の中、素手で握り合った両手の仄かな暖かさが甦ってきた。 さらに新京市時代の歌人の一人が、初年兵は最低だよ。そんな時思い出したら気持が落ち着くよと、餞にくれた短歌が頭に浮んだ。 ひ
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(19)
カンボーイは苦り切った顔で私たちを眺め、長屋の前のドイツ人捕虜たちのニヤニヤ笑いは、同情的な顔に変っていた。結局一台のトロッコも押せないで引揚げた。 (註)一九九二年の墓参行で当然ここにも立ち寄った
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(18)
戦友を誘って墓穴掘りに出掛けた。ツルハシと鉄棒とスコップを担いで丘を登った。丘の上は薄赤色の地肌が一面にひろがっていた。埋葬され、埋め戻した土の盛り上がりが一列に並んで、荒涼とした風景である。 一
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(17)
一二、コルホーズ(集団農場)でジャガイモの収穫外 改善されない食料事情のために、地獄絵図の亡者のように痩せ衰えた捕虜を扱い兼ねたソ連側は、二〇人~三〇人の単位で軽作業につけることにした。コルホー
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(16)
見回すと全員俯いている。軍の組織は解体しているはずだが、われわれの意識は、まだ階級秩序にしばられていた。上官の言葉は理不尽であっても、一切異をとなえないで死地に飛び込む習慣が残っていた。さらにソ連側
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(15)
次は馬糧トウモロコシが何日続いただろうか。大人の親指の爪ほどにふくれた粒は、どんなに強く噛んでも噛みきれない強靭な外皮に包まれていた。二回だけであったが、外皮も胃袋へ送り込んだ。次の日外皮がそのまま
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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(14)
九、食事 初日に筆を戻す。 初日、死ぬ思いで宿舎に帰りつき、欲も得もなくジットリ湿っている床板に横たわった。一杯の水も一椀の飯さえない、雪を口に含んで乾きをおさえた。 前節で二日目から一〇日