連載小説
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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(72)
県をあげて盛大かつ有意義な国民体育大会に特別に招待を受けた海外移住者は、35日ブラジルから188名、アルゼンチン80名、ボリビア20名、ペルー45名、メキシコ5名、北米60名、ハワイ68名にカナダ2
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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(71)
出発は10月16日、18日那覇着。 翌日、県知事及び県議会議長表敬訪問、その後琉球新報・沖縄タイムス・琉球放送を訪ね、その翌日西武オリオンホテル集合し県の指定する公式日程にはいる。 ロゴマーク [
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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(70)
県人会では佐賀県人会からの案内状があって私は、沖縄県人会を代表して式典に参列、初めて井上武記者と対面することとなった。 そして取材後のひと時を利用してわが家に案内一族に紹介し夕食を共にした。 限
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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(69)
達弥と政義君は無事6ヶ月間の青年隊訓練を終了、そして地元で後6ヶ月の一般労務について所期の目的を果たすことが出来た。 それだけに日本語もかなり上達するようになり、精神的にも成長したことが充分伺えた
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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(68)
そこで手紙をしたためお願いした。しかし、よく考えてみると、東京や本土よりも出生地の沖縄の国立の琉球大学医学部の方が都合がよいと云うことになり、そこを目ざして手続きするようになった。 出生地となれば
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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(67)
1975年になって私は、初めて県人会本部理事に推挙され、それ以来1988年に至る13年間、理事・会計監査12年、副会長5年、そして県人会長の職責を務めることになったのである。 その間ボランティア活
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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(66)
子供たちの学校休日をフエイラ稼業に就労させて、学業をおろそかにする何とも苦い思いであった。 自分が県人会活動に傾注していると結果的に家族を犠牲にせざるを得なくなる。 これは誰もが知っている当然の
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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(65)
県人移民80周年記念親善訪問団の顛末 1988年4月23~24日 南米・北米チャリテイー公演 34名 団長 宜野座嗣剛一行 県人移民80周年記念 「親善訪問団」の来伯 この芸能団は、県
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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(64)
しかも知人の娘に歯科医がいて年頃だからと、結婚ばなしを語り合ってもいた。事実、何人か配偶者相手と相談もあったが、本人はそれを耳にせず聞き流していた。 親同士もよく知っているし自分としてもよい相手だ
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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(63)
ほんとに微笑ましいことではありませんか。妻なる私たちの目の届かぬ所で、私たちの主人たちは、あれこれと素晴らしいことをして居るのです。 今までは子供を育てるために“あくせくの毎日”でしたので、主人が