連載小説
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(21)
米須部落の中心地(元摩文仁村役場のあった地点)も全く打ち変って、部落の配給所となっていた。区民は食糧の配給を受けるため多数の人々が集っていた。そこへトラックから私は下り立った。その人込みの中に母と姉
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(20)
ところで私は、故郷の家族は全滅して誰一人として頼れる人がいなければ帰っても仕方がない、とばかりに考えていた。3年前に勤労奉仕で1ヶ月馴染んだ北海道は土地も広く今後日本の農業にとって最も適した土地であ
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(19)
そこで多久島さんは大連へ戻ることになり、私だけミーリアン部隊長の家で夫人のお手伝いを約6ヶ月間働かされた。彼は女の子1人の3人家族 だった。主食の黒パンやコロッケの作り方もその時に教えられ、早朝から
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(18)
前日移動準備をしていた馬を利用して、夕暮れに全部隊は営門を出発した。一行河可子向け鉄道沿線にそって乗馬行軍歩行していたその時、後方から汽車が走ってきた。わが部隊およそ200名以上だったと思うが、その
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(17)
6月末沖縄戦敗北が伝わった。従って古里沖縄は軍民全滅の予感が頭をよぎった。先年グァムやサイパン等南洋諸島の玉砕同様古里沖縄も激戦の果てに県民まで玉砕とはなんたることか、真の神国日本の威力とは一帯何時
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(16)
一面坡訓練所本部には6ヶ中隊が配属され、それぞれ2ヵ年から3ヵ年そこで訓練を受け、その後開拓団へと移行する。開拓団も団体の共同経営が続き5ヵ年後から個々人の農家経営になる。結局一カ村の開拓村を形成す
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(15)
わが富山中隊が駐屯する地区はこの駅から15km、徒歩で約3時間半を要すると云う。そして夢に描いた「曠漠千里…」の大平原とは程遠い山あり丘あり小川など山紫水明の地であった。かつてロシアが森
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(14)
博多から釜山への海上輸送船も時間は決まらない。要するに連合艦隊の監視を避けるために夜間ひそかに出航するのである。勿論、船名や時刻は秘密にしての出航であり、乗船と同時に浮遊袋がくばられ着用が義務づけら
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(13)
4~5月と厳しい訓練所生活にも馴染み入所から3カ月、ひたすら農業実習と軍事教練に明け暮れていたが、5月にはアッツ島の日本軍守備隊が全滅し国民に大きなショックをあたえたばかりでなく、戦局は緊迫状態に陥
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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(12)
1分隊は、11~12名の4分隊で1小隊を編 するようになっていた。円形の日輪兵舎は直径8メートル位の円周50メートル程。従って隊員は、頭を壁側に向け足は中央に揃え枕元部分が約1メートル単位で区割され