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連載小説

わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(11)

 汽車は予定通り3月10日内原訓練所に到着し、安堵感を抱きながら第30當山中隊の日輪兵舎に旅装を解いた。  満州開拓史を参考に當山中隊拓友会 記録集より抜粋  注1 満蒙開拓青少年義勇軍とは  昭和7年3月、現在の中国東北地区に新しい国家として「満州国」が誕生しました。  この満州の地に日本民族の“植民地”という国家の政策的使命 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(10)

 なかでも小学校6年生3学期からは進路指導があり、先生との接触が頻繁となる。元々私は、小粒な身体で遅進児ゆえに同級生の間ではチビッ子呼ばわりだった。それだけに体重も軽かったのであろう。  鉄棒では技も割りによく、懸垂では18回で学校では常に優勝していた。身体こそ小さいが負けず嫌いな性格だったようである。満蒙開拓青少年義勇軍への申 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(9)

 自分にとっては小学高学年にもなると、学校の宿題も多く勉強時間が増えるので親父の三線研修時間とよく重なった。それも連日となると折角の音楽もいやな雑音になり、勉強のじゃまにしかならなかった。  幼少の頃からこのような環境で育ってきたせいか、音楽(特に三線)は嫌厭感にさらされ、なかなか親しみを覚えることがなかった。  郷土の文化とし ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(8)

 私には中味はよく知らなかったが、千人針の腹巻布を贈って武運長久を祈るとか翼賛会、国防婦人会など理解し難い組織や言葉が頻繁に聞かされるようになった。  1940年4月、私は6年生に進級した。担任は真栄平守正先生だった。先生は倫理観に優れた先生であった。6年生とは云いながら教科書以外に読書をしたこともない片田舎の私たち学童に放課後 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(7)

 ある時にはモモにいたるまで直に体験させた上で指導、知らない果物など田舎育ちの子供たちにとっては興味しんしんで、とても楽しく先生の授業は今も鮮明に覚えている。  厳正な羽織袴姿とやさしく分かりよいハル先生の教えに私は、子供ながらに強く心をひかれていたことを今も忘れがたく懐かしい思い出となっている。  翌年4月には2年生に進級した ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(6)

 当時の間切長宮里蒲助の名をもって蒲助浜と付したと歴史は伝えている。そこで蒲助浜(実質的には米須海岸)の砂丘に糸満から漁業者(ウミンチュー)数家族が呼ばれ移住し、浜小(ハマグワー)と云う集落が形成され誕生した。  この集落は、去った沖縄戦(1944~1945年)まで続いていたが大戦によって灰儘と化し、今ではその痕跡さえ見えなくな ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(5)

 8月には(旧暦7月15日)盆踊りがあり、以前は青年たちにより夜半まで鉦や太鼓を打ち鳴らして部落中の家々を廻曲したものだが、近年は青年エイサー大会に遷化して、その騒擾さが改善されている。  9月の旧暦8月15日には毎年の年中行事ではないが、村芝居がよく開催される。部落の工事落成とか節目の祝賀行事を利用して伝統芸能を若者たちに継承 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(4)

 それはどういう意味があって、そんなことになるのかは知らないが、とにかく御嶽(ウタキ)で木を切ったり、草を刈り出してはいけないと云うことを父母から聞かされた。  そのためか知らないが、この場所は木や草が生い茂っているのは事実である。小学校への通学路にはその近くを通るのだが、そこへ立入ることはほとんどない。  唯一先生に誘われて行 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(3)

 この狭少な農地で主な農産物と云えば、甘蔗(サトウキビ)と甘藷(サツマイモ)で他に大豆や野菜類がある。そのうち換金作物となるのが甘蔗と甘藷である。小さい島の小規模の農業だから、極く集約的農業で収穫量も微々たるものである。  最近では花卉の栽培が盛んになり、本土に花のない時期を目当てに出荷する対策が講じられているようである。  幼 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(2)

 それに米須貝塚の調査によれば、1800~2000年前の状況が伺えるとされている。  でも貝塚人がグスク時代の人々と同一だった かどうかは定かではない。出土品からして漁労活動が活発であったことは推定される、と『米須字誌』(1992年発刊 米須字誌編集委員会)に記述されている。  この貝塚は、1956年10月県指定史跡に指定されて ...

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