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連載小説

道のない道=村上尚子=(81)

 やがて、二人で外へ買い物に出た。道を歩きながら、ひろ子がしみじみとした声で、自分へとも私へともつかず言っている。 「不思議ねえ……今なぜか昔ママイに色々してもらったことを、思い出しているよ。今まで何も思い出したことがなかったのに。例えば、六歳くらいの頃かしら、ママイが私に服を買ってくれたのを……その服はね、ブルーザ(上着)がピ ...

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道のない道=村上尚子=(80)

     店 じ ま い  七十七歳になった私、もう力仕事は無理となり、今から二年半ほど前に、身を引くことにした。  この頃、このアパートの二階で、月に一回、文章の勉強会が行なわれていることを知った。「たちばなの会」というこのサークルは、二十名ぐらいのメンバーである。この会に、私は関心を持ち、ある日見学をさせてもらった。  第一 ...

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道のない道=村上尚子=(79)

 初めは、彼にも私のポルトガル語が分からなかったのだと思える。しかし、段々私式のポルトガル語が理解出来るようになったのであろう。人間、どんな難しい問題でも、訓練と慣れとで、解決して行くものである。このへんな才能を持った生徒が、私が一言喋るその度に、ポルトガル語で皆に通訳している。  それを全員、真面目に聞いている……まるでカイロ ...

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道のない道=村上尚子=(2)

 又、女性の中には、精神的に参っている人が多く、私に馴染んでくると、身の上話をしたい女性が増えた。しかし、治療中に喋られると、私が集中出来なくて大変困る。適当に聞いとけばよかろうと思うだろうが、話している方は、布団を叩いて泣きながら話しているのだ。  これほど、のたうち回って精神的に苦しむと、体に力が入っていて、なかなか肉体の方 ...

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道のない道=村上尚子=(77)

 さっそく日系の新聞に広告を出すと、初めは一日に一人来たり、来なかったりであった。しかし、この始めて来る客こそ、私がこれから食べて行けるかどうか、勝負がかかっている。その客が次にも来てくれるかどうかは、このたった一回目の私の仕事ぶりにかかっているのだ。ちょうど、ポウパンサ(預金)のように、これから自分の客というのを一人、一人貯め ...

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道のない道=村上尚子=(36)

 そうこうする内、人に貸していたアパートが空いたので、そこへ移った。色々、身辺の整理も終わった頃、数冊の私の日記帳が出て来た。特に、ここ一年間の日記は、癌病の父の介護、その闘いの日々であった。分刻みの看病のことが、克明に書かれていて、何か見ているとその日記帳そのものが、生きもののように喘いで迫ってくるようだ。  私は思った。後に ...

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道のない道=村上尚子=(75)

 私はそのとき、何か一瞬にして肩から覆い被さったものが取れた。父は、空の便器を引き寄せ、その中へ手を入れては、何かをつまみ出して、口に入れている……父の頭では、何か食べ物が入っているらしい。これを見て、私はいいことを思いついた。 「お父さん! ぼたもちばい!」  と、さも牡丹餅が私のてのひらに乗っているそぶりをして、父の前に差し ...

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道のない道=村上尚子=(74)

 彼の体全体から、万感の思いがいっぱいに広がっているのが、私にも伝わる……父は、二個目を口に持って行った。少しすると、急にむせ始めて、トイレに行き、「ゲェー、ゲェー」と言い出したのだ! 私は父の背を「とん、とん」と軽く叩いたが、うまく行かない。父の首が倍に膨らんでいる。水を飲んでみたためだ! 水も食物も、喉に止まったままだ! 私 ...

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道のない道=村上尚子=(73)

「尚子、ちょっとそこへ座れ」  ある日、父が碁を並べながら私を呼んだ。 「オレの相手をして打ってみろ」  いつも家の中では、碁を打つ相手が居ない父。ウムを言わせない口調で命令した。 「ハイ……」  あの頃の私は三十代であった。『人生の戦いの真っ最中』、いいかげん自分の人生に、眉間のしわを寄せてあがいていたのに、遊びまで苦しむこと ...

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道のない道=村上尚子=(72)

 この日、父は車庫の屋根に登っていた。その近くに居た私のすぐ側で「ドサッ!」という音と共に、父が落ちてきた。車庫といっても二メートル以上の高さである。とっさに見上げると、屋根が破れて、ぽっかり穴が開いている。私は地面に倒れた父に、飛びかかって抱いた。 「何ちいうことをしたかね! ばかが!」  動揺している私が、あの怖い父を叱りつ ...

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