実のところ「ふるさと」が好転しだした時、T子の鼻息が荒くなった。ここは客足も良くなっている。いける! と彼女は思ったのか。 「今に尚ちゃんを追い出して、ここで寿司屋を開けるわよ!」 と常々周りの者に打ち明けていたという。新聞に私の記事が載ると、それを更に利用する者が出て来た。 例えば、パラナ州から立派な体格で、温厚そうな男 ...
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道のない道=村上尚子=(60)
しかし友行の性格上、日本へ帰るのは諦めているだろう。私は数日、彼に説得してみたが、効果がない。彼に対して、一度も不満を抱いたことはない。その男に対して、芝居の愛想尽かしを始めた。 長らく失業中で、苦しんでいるはずの彼へ、 「あなたといるのは、もうイヤ! 苦労ばかりさせられて、早く日本に帰って!」 心にもないことを言い散らし ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(59)
そうこうする内、上司のUさんや、あと二、三名が碁を打つことも分かった。私も初心者ではあったが、Oさんと丁度良い相手となり、楽しい。上司は友行と打ち、たまに私が声援をUさんへ送ったりした。この大広間は遊び場になった。 ある時など、S君に日本からの手紙が届くと、みんながいたずらして「隠せ」と言う。私は洗濯場へ隠したが、恋しい奥さ ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(58)
この下宿の下見に来たM商社の若い二人、浮かぬ顔で沈んでいる。理由は、場所と下宿は気に入った。が、会社の上司も一緒に入るというのだ。さんざ気を使って、帰ってもその下宿に上司がいる。これは辛いのだが、その上司を入れる下宿が見つからないと言う。 私には何となく分かる。結局、上司の下宿は見つからず、五名全部が入ってきた。私までが緊張 ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(57)
いくら友人でも、そこまでお節介なことを言うだろうか……あの明るく躍動していた「円苔」が、丸ごと屍になってしまったように見えてくる…… 惨めであったー 結局、「円苔」の権利を売りに出した。まあまあの値がつき、ベテランのママさんが買ってくれた。後にこの件について、そのママさんの言ったことが、他の人を通して私の耳に入ってきた。 「 ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(56)
さんざん父にけしかけられて、私もあんな真面目そうな者は他にあまりいないだろうと思った。友行の申し出を受けることにした。もうひとつ大きな理由も私にはあった。 杉洋介のことを思い出していたのだ。裕福な人でなくてもいい。平凡な人でも、きちんと結婚できる相手に、今の私は価値を感じていた。ところが、友行の方も、姿勢を正して、私へ打ち明 ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(55)
「『円苔』は、早く閉めます。この店ではありません」 と言うと、聞く耳持たずの顔。こんな狭い呑み屋に、一人の陰気な客が「でんっ」と場所を取り、皆を刺すように見ている。客たちは、この場違いそうな女を見て、事情は大体察しはついているらしい。まるで自分たちが叱られている子供のように、心持ちうつむいて、酒を口へ持っていっている。二時間近 ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(54)
早いもので……この店も二年になろうとしている。そんなある日、一人の客からラブレターをもらった。彼はいつも窓際に座る。細身で顔は丸でも四角でもない。その中に、くせのない目鼻が、いつでも微笑む用意をしている。手紙の内容は、 「私の趣味は囲碁で、碁のことしか知りませんが、大事なのは『石の方向』というものがあります。石の方向とは、目の ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(53)
何か向こうの方から、夢のようなものが手招きしている。それはやはり商売だ。私は商売が好きだ。そしてその面白いところは、形の無いものから発して、思い通りの姿にして行くまでの過程が楽しいのだ。次は食料品店、次はもっと大きく……そんな想いを抱きながら、働いていた時である。父が、何かに追い詰められるようにして、店へやって来て、私に命令を ...
続きを読む »道のない道=村上尚子=(52)
「円苔」の客層も決まり、すっかり経営は軌道に乗っていた。しかし洋介は遠慮して、店に来たのは二度くらいであった。それでも彼はクリチーバからやって来るたび、私の報告を楽しんでくれているのが分かる。洋介のほうも、私にいろんな話を聞かせているが、内容が少しづつ変わって来ていた。例えば、 「オレがファゼンダ三十周年記念のフェスタをした時 ...
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