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連載小説

安慶名栄子著『篤成』(16)

 楽しいこともありましたし、仕事も順調にいっていたのですが、父の心にわだかまりが残っていました。日本に残されていた2人の兄たちのことが気がかりで父は昼夜兄たちの事を考えていたのです。  兄たちは、当時太平洋戦争の最中にアメリカ軍に攻撃され始めていた沖縄で学校に通っていたので、その事が父にとって一番の不安だったのです。なぜなら、知 ...

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安慶名栄子著『篤成』(15)

 周りの人たちは皆父の面倒見のいいことにとても感心していました。父は様々な苦労を経て、日本人特有の内気な性格だったが、親近者にはよく知られていた外交的な面もありました。  現地で競馬が計画準備された時期があったのをよく覚えています。父はもちろん、参加することに賛成しました。  よく考えると、父は何にでも参加しました。「あなたたち ...

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安慶名栄子著『篤成』(14)

第9章  戦争、そして人種偏見の不幸  そのころ、第二次世界大戦の影響がブラジルでも感じられるようになってきていました。その結果、日系人社会やドイツ系社会にも混乱が起き始めていました。  日本人移民は差別の外、ブラジル兵士に酷な態度で扱われるのでした。ブラジル兵士は日本人の家はすべて調査するようにとの命令を受けていたからです。拳 ...

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安慶名栄子著『篤成』(13)

第7章  心の友 トラジリオ  当時、私たちの家には真っ白な馬が一頭いました。その名はトラジリオ。子供の私から見ると、トラジリオはとても頭がよく、馬ではなくてほとんど人間だと思ったりしました。父もトラジリオが大好きでした。そしてマカコという小柄な黒いロバもいました。  叔母の家やおばあちゃんの家まで行くときには私と兄がマカコに乗 ...

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安慶名栄子著『篤成』(12)

私たちとガスパール家の子供たち。前列左から栄子、恒成、よし子

 想像力も豊かでした。世界は私たちのものだったのです。現代の幼児期とは全く違っていました。  田舎では、遊び疲れると心地良い陰がある大きな倒れ木のそばで寝転がって一休みするのでした。当時の田舎ではあちこちで大木の切り跡が残されている光景は普通でした。  とても残念な話ですが、栽培のために多くの素晴らしい樹木、時には樹齢数百年とも ...

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安慶名栄子著『篤成』(11)

 気の毒な父は、母のための法事で心も体も疲れ切っていたはずなのに、さらに子供をなくすなんて。そうです。  あの時点では父は子供を一人無くしていたのです。近くに私の叔母が住んでいたので、そこに行っていないだろうかと、父は大慌てで探しに行った。いない。父は喉が絞まるような苦痛を覚え、どうすればいいのかと悶えていました。  外から叔母 ...

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安慶名栄子著『篤成』(10)

 私の父にとってはこの上ない手助けであったのです。当時私が2歳、よし子が3歳、恒成が5歳で末っ子のみつ子はやはり一番手のかかる歳でした。  そのようにしてみつ子は遠くに住んでいた比嘉のおばあちゃんの家で暮らすようになったのです。母親を亡くしたばかりの私たちにとっては「おばあちゃん」の存在は実に心の癒しになってくれました。  おば ...

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安慶名栄子著『篤成』(9)

第5章 つかの間の幸せ  一連の出来事が過ぎ去ると、新たな周期が始まります。  いばらの道はすでに通り過ぎたと思われたが、篤成の人生に再び苦難がやってきたのでした。母が深いうつ病に陥ってしまい、たびたび急性のパニック発作に襲われ始めたのです。  現在では産後うつ病であったとわかりますが、当時はそのような症状に関しての理解もなけれ ...

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安慶名栄子著『篤成』(8)

1937年―安慶名家の家族写真。次男信綱を膝にのせているのが篤成の妻カマド。左側で、白いシャツを着ている子が長男篤政。前列中央が篤成の父金次郎、その左母マツ、左端篤成の弟恒信(三男)。後列中央が篤成の兄篤信(長男)、その左が篤成の妹サダ、右がカマドの友人

 ようやく夫と再会し一緒になれることで幸せのはずだったが、2人の子供を沖縄に残さねばならなかったカマドは、ブラジルに渡ることにこの上ない辛い思いを抱いてしまっていました。  かわいい子供たちと離れ離れになる苦痛は大きく、夫に再会する喜びが薄れてしまったのでした。息子たちは丁度学校へ通い始める時期であり、あの頃はブラジルの田舎のど ...

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安慶名栄子著『篤成』(7)

 友人や近所の仲間たちが集い、すぐに新しい家を建て始めました。当時、田舎のほとんどの家は掘っ立て小屋で、特に難しい作業ではありませんでした。  政孝さんが直面した悲しみや苦しみは、当時の日本人移民の間では数多く発生していて、様々な面で共通点もありました。その反面、多大な苦しみの代償とでも言えようか、奇跡とも思える超力による問題の ...

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