船長は私の手から菊花紋章のついた旅券をとって、その袋に入れ、終りに手際よく両端を結んだ。その瞬間、私はブラジル人になった。正真正銘の。ブラジル旅券を開くと、《国籍》 ブラジル共和国《出生地》 ブラジル国オリンプス市ボア・ヴィスタ街223番地《生年月日》 1912年6月21日《職業》 ナシ・学生 その他、両親の姓名、身長 ...
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パナマを越えて=本間剛夫=16
私は数日前まで船長はじめパーサーも機関長も、この男を殆ど無視していると考えていた。今日まで船長らとコーチとの対話らしいものを聞いたことがなかったのだが、今日のコーチが鷹揚に備えて船長の話しに合槌を打っているのを見ると、自分の人を見る態度が浅はだかったことが反省された。 その会話でアメリカの対日姿勢が相当緊張しているらしいことを ...
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「やあ、よくお休みになれましたか」 私を激しくたしなめた昨夜の船長の表情はなく、客に対する丁重な口調に変わっていた。私は熟睡できなかった。コーチの鼾で、幾度か眼をさまされては、そのたびに腹を撫でて胴巻の安全を確かめた。 食後、甲板に出た。海はおだやかに凪いて、鴎が数羽、船の前後を行ったり来たり翔んでいた。陸地が近いのだろう。鴎を ...
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「だから、そのダイアはブラジルのものではない。英国のものだ。それを日本がブラジルの軍部に手を廻して買い取ったんです。ブラジルは、かつて日露戦争の時に小さな巡洋艦を日本に譲ってくれたことがある。ブラジル海軍にとって、それは「掌中の玉」だったんです。昔からブラジルは日本の政体に興味と親しみを抱いている。巡洋艦、これも英国製ですが、こ ...
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「エメボイ農大の入学試験は、後二週間ほどです。募集は四十人ですが、もう全国から百六十人ほどの願書が来ています。あなたも、今、ここで願書をお書きなさい」 私は早速願書を書いて差し出して、試験当日上京して受験した。 自信はなかったが、一週間ほどして合格の通知が来たとき、これで、わが人生の行路は決まったという思いで毎日が明るく、六月、 ...
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ミナミ氏がアメリカ人でありながら、日本の戦争に協力して、彼が愛し骨を埋めることになったブラジルへの貢献の報いもついに実現できなかった。その胸の痛みを知るのは、この地上で私だけだ。彼の一途な武士のように生きた生涯を思うと目頭が熱くなった。 第二次世界大戦でアメリカの日系二世が、アメリカを母国として遠征軍を組織し、ヨーロッパで勲功 ...
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私は日本の学者たちの通訳で二カ月もアマゾン流域を歩き廻ったこと、その役目を私に名指したのが、母校エメボイ農大の英人教師だったことを思い出したが、アマゾンから水晶やダイヤが採れるとは知らなかった。「あまり良質とはいえないが、アマゾンは宝石の宝庫ですよ。それが、りっぱな兵器になる」 船長はいちいち私の意表を働いた。「しかし、それは ...
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ボーイが入って来たので、立とうとすると、船長が「まあ、もうちょっと話しましょう。福田さんと話していると、私の郷里の訛があってたのしいんですよ」と云うので私も跳ね返すように云った。「船長さんは、栃木でしょう。私も、です」「それは奇遇だ。それにしても、このたびはご苦労さまです……。まあ、私の部屋へ、どうぞ」 船長が私の胴巻きのこと ...
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そこで、コーチの長い話は終わった。 私は初めて、コーチが相当な教養ある男だと判断して、いつかゆっくり話し合いたいと考えた。 すると、コーチが続けた。「船長、日本では、船長は海軍将校ですね。それなら、日本軍部が何を考えているが、ご存じでしょう。宣告は明日かも知れませんよ」 私は呆気にとられた。 彼は日本の総ての船舶の長が海軍将校 ...
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「父は英国人にだまされてペルーに売られた奴隷だったんです。一八六三年、アメリカのリンカンの政策に習って、南米諸国も奴隷を開放したのはいいが、その代わりに日本人に眼をつけたんです。人身売買は英国人の得意とするところで、インドでもアフリカ諸国でも、彼らは大昔から平然と、それで儲けてきたんですよ」 コーチは、そこで話しを切り、「話は長 ...
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