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パナマを越えて=本間剛夫

パナマを越えて=本間剛夫=87

        4 一九五四年、日本外務省はボリビアに対して移民の可能性を調べるため調査団を派遣した。彼らは二週間の調査ののちサンタクルース地方を選び、それから北西百三十キロのサンファンの土地を購入することになった。 この頃、企業家で海外からの引揚者西川利道は小規模精糖機械をもって海外進出を計画し、外務省に応援を求めていた。彼の ...

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パナマを越えて=本間剛夫=86

 農業担当官はブラジルに駐在したことがあり、私が戦後二度目の旅行の際、サンパウロで日本人移住者の候補地選定に動向した間柄だったことを知って親しみが湧いた。彼はボリビアの底地ジャングルに新設されたサンファン移住地の農業指導者として駐在しているのだといった。 食卓を囲みながら、誰もがゲバラについて一言も触れないのが不思議だった。私が ...

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パナマを越えて=本間剛夫=85

 明日から旅行会社の案内で京都、奈良を廻り、大阪から帰途にすくというエスタニスラウの言葉に戸惑った。「もっとゆっくり話す時間がないのか……」 私はアントニオとも話したかった。エスタニスラウは私という人間について、どのように説明してあるのか。ただ、ブラジル南部の海岸に近い小さな町の小学校で教えられた教師だ、という程度なのだろう。し ...

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パナマを越えて=本間剛夫=84

「生活費は必ず送金する。決して心配しないでくれ。子供たちも成長すれば、それぞれの方向に進むだろう。それまでは親の勤めだから、きっと送金する。おれ一人で行かせてくれ」 私は家内の納得につとめる傍ら秘かに旅券の手続きを終えて、伊原氏と会合を重ねていた。伊原氏はゲバラの活動の成否はともかく、私がブラジル行きを希望しているのを知って、リ ...

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パナマを越えて=本間剛夫=83

 私はためらいながら、「そのことなら、ゲバラと会っています」とエスタニスラウ杜の会談のもようを話すと、大使は「そうだったのか」と大きく頷いた。 私には三人の子がいた。一人は中学、二人はまだ小学生だった。すぐにも快諾の返事をしたかったが咄嗟のことで即断できなかった。心は焦った。大使のいうように、私は日本で生涯を終える気持ちは若いこ ...

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パナマを越えて=本間剛夫=82

 翌日昼ちかくなってエスタニスラウから電話がきた。それは外務省の役人が通訳と案内役をつとめてくれることになったから、今日来なくてもいいというのだ。アルゼンチン人のゲバラが偽名し、しかもブラジル人として入国しているのに、外務省の役人が世話をするとは……と腑に落ちなかったが、電話は短く切れたので追求もせず私は仕事をつづけた。 それで ...

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パナマを越えて=本間剛夫=81

 そのとき傍らにいた三十歳ほどの男がエスタニスラウに近づいて握手を交わしながら私に冷たい視線を投げた。エスタニスラウはその青年と旧知の仲なのだろうか。そのことを質そうとしたが、彼が同伴者の紹介を始めたので、それはあとに譲ることにした。青年は私には挨拶しようとせず、迎えの車に三人を乗せようとしたとき、エスタニスラウは私の手を握りな ...

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パナマを越えて=本間剛夫=80

 その夜、コーチの顔が唐突に私の瞼に浮び上がった。コーチは今、どこにいるのだろう。三年間、殆ど彼の存在を忘れていたのに、珍しく彼は笑顔を作って眼の前に立っていた。ホンジュラスからパナマ、横浜へと約二カ月の航海中、私を苛立たせた得体の知れぬ行動をとっていたコーチが急に懐かしく憶い出された。コーチは生まれ故郷のボリヴィアへ、エリカと ...

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パナマを越えて=本間剛夫=79

 エリカ姉妹の処置をめぐって敵対してきた副官とは思えない恩讐を超えた炎々とした声色だった。二人の和解は私にとっても嬉しかった。二人の間に蟠(わだかま)りの種子を蒔いたのは私だったからだ。「そうですな、そうしましょうか……」 中尉が素直に応じた。 司令部に着くと、予め科長から命令が出ていたのか、下士官や兵たちが厨房で宴会の準備に忙 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=78

 私の胸の中で息絶えた黒田上等兵の血ぬられた小石が上衣のポケットにある……。私は無意識に、その小さい石魂を撫でていた。そのとき、不意に、洞窟に埋れた同僚たち、それから不十分な看護の下で死んでいった三百名にちかい患者たちの思い出が一度に甦った。(このままでは、ブラジルへは帰れない……)私は自分に言い聞かせ、自らの心を確かめようとし ...

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