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パナマを越えて=本間剛夫

パナマを越えて=本間剛夫=67

 そういってアンナはロープをつかむと驚くほどの早さで壁面を蹴るようにして崖の上に立った。(さすが!)私は一瞬飽気にとられて見上げた。見事だった。 崖の緑を巡り三角山の稜線に立つと、南東の風が西に傾きかけた太陽の熱さを和らげていた。海面に細かい線を描いて吹く風の流れは平和な世界を象徴しているようだ、戦争は終わった。これからは平穏な ...

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パナマを越えて=本間剛夫=66

 私は今村に、先に帰っているようにいい、中尉の後を追った。この機会を逃しては、もうチャンスはない。「中尉殿、お願いがあります」「何だ、福田か」 中尉が振り返えった。「敵逃亡兵を発見しました」「そうか見つけたか」 中尉は予期していたように静かな調子だ。「早く見つかってよかったな……。どこにいたのか」病棟の上の崖の洞窟に極めて健康状 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=65

 中尉と話す機会を何とかしてつかまなければ……。アンナのことを相談しよう。連合軍は日本をどうするのか。属領として永久植民地化するのか.それが歴史的に自然な形だろう。そんな日本にいたたまれるものではない。果たしてブラジルへかえるのか。まとまりのつかない疑問が次々と湧いた。 命令受領の時間が来て、広場にいつもの顔ぶれが集まっていた。 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=64

 副官が低く云った。「敵兵を発見したそうだな、その状況を話せ」 命令受領のあと三角山村近から渓谷の奥を独自で捜していたことを私は告白した。上司の許可もなく、自由行動をとっていたことについてひどく責められることはないだろうという自信があった。英語のほかにスペイン語とポルトガル語を話すのは、この島で自分以外にはないのだという自信が、 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=63

 私は断崖の上に立って目もくらむ眼下した。病棟の傍らを流れる小流が生い茂る萱の間から白く光って見えかくれしていた。断崖の高さは約五十メートルはあろう。六十度ほどの傾斜の中央に数本のゴムの大樹が突き出ており、大きく枝を広げて谷底を覆っている。あそこだ。あの中にいる。私は信じた。あと三日間という切迫した時間への焦りがそうさせるのでは ...

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パナマを越えて=本間剛夫=62

 言葉に詰った。用件というほどのものではない。私が蘇生させた女のその後の容態が知りたいこと、第二にエンセナーダの港町で抱いた戯れの相手かどうかを確かめたい。もし、あの時の女だったら、コーチを知っている。なぜメキシコの田舎娘がアメリカの航空将校になっているのか、その謎も解きたい。得体の知れないコーチとの関係も……。「見舞いたいので ...

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パナマを越えて=本間剛夫=61

 私が蘇生させたのだから―ということばを押し殺した。この場合、相手に圧力をかけるような感じを与えるのは不利だと考えたからだ。果たして衛兵は私の単刀直入な申し出に芽を曇らせた。「それは……どうも、医務長の許可がないと……」当然だ。兵長は気の進まない面持ちで動こうとしない。「医務長の許可をとってくれませんか。医務長は私をご存知の筈で ...

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パナマを越えて=本間剛夫=60

 下士官兵の面前で制裁を受けて以来、少尉は余り私たちと話したがらなくなっていた。私は彼の、その様子から連合軍は既に本土に進撃しているのではないかと推察した。 命令伝達が中々始まりそうにもないので、兵隊たちはそれぞれ壁を背にして座り込んだり、横になるものもいた。「兵長、うちの畠は全滅だよ。あいつら畠を狙って爆弾をめちゃくちゃに落と ...

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パナマを越えて=本間剛夫=59

 薬品の保善は、特に前線では私たち衛生兵の、看護に次ぐ重要な任務だ。見廻わすと事務室の定位置に薬品箱が見えず、勿論三浦軍曹の姿もない。私は奥に引きかえした。すると、例の少年兵のそばに軍曹は薬品箱を背に、劇毒物の小函をしっかりと胸に抱いているのが見えた。さすがに先任者だ。 外界では空からの爆撃に加えて艦胞射撃も始まっていた。遥か海 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=58

        5 連合軍にとって、二年前のミッドウェイ海戦は勝敗の流れを変える重要な意味をもっていた。その勝利は神国日本の不敗という信念を砕き、連合軍に積極的戦略をとる勇気を与えた。第一、第二のソロモン海戦で戦果をあげてから急ピッチでギルバート、マーシャル、マリアナの諸群島を手中にし、硫黄島を一ヶ月の攻防戦の後に陥れた。 それ ...

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