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パナマを越えて=本間剛夫

パナマを越えて=本間剛夫=57

 雑嚢はくたくたにくたびれていたが防水のために全く水分を吸わず、マッチはすぐに焔をだした。辺りが僅かに明るくなり、垂れ下がる無数の木の根の編目の向こうに、いくぶん下り坂に傾斜して人間一人が這い入るには、さほど困難ではなさそうな孔が黒く口をあけているのが見えた。 しかし、その中にも細い毛根を生やした熔樹の根が鍾乳洞の石筍のように垂 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=56

 「ずいぶん、のんびりした偵察だったなあ、今日は…」という声がした。私は、そののんびりさがくせものだと思った。アメリカの意図が匿されているのだ。最後の攻撃を加えるための予備行動と思われないことはないからだ。執拗な旋回で丹念に航空写真を撮っていることも考えられる。その間に逃亡中の兵と交信したかも知れない。 定刻より一時間近くも遅れ ...

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パナマを越えて=本間剛夫=55

 粥にすれば一週間はもつ。その問題よりは、大本営がこの島を無視していなかったことが分っただけでも将兵たちを元気づけることにはなろう。         3 翌日、命令受領のあと、私は再び樹林の下に立った。蔓草のカーテンのどこにも、人がもぐり込める間隙はなかった。蔓は上から下がっている枝根にからんで這い上がり、天井に達して互いからみ ...

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パナマを越えて=本間剛夫=54

「兵長どの……」 私が黙ってしまったのに不審がった大島が、私を覗くようにした。私は二人をからかいたくなった。「そりゃ、シャンにきまってるさ。テキは航空将校だぜ。二十二、三かな。髪は明るい亜麻色で、瞳は珊瑚礁の、あの薄い水色だよ。鼻筋が通って、唇は適当にふくらんで、吸いつきたいほど、笑うとえくぼがぽっくり……というのかな。俺は十年 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=53

 その時、ふと、かすかな水の流れのような音を聞いた。それは日本の秋の草むらに鳴く鈴虫のようなチョロチョロという音であった。じっと耳をすました。どうやらそれは蔓のカーテンの奥から聞こえてくる。カーテンの前まで戻り、耳を押しつけるようにした。やはり水の音はその中の地底から湧いていた。私は再び横になり、耳を地面に当てた。音はまさに渓流 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=52

 あいつは二重国籍の西洋かぶれだから、兵隊にとられていい気味だ。土性骨を叩き直せばいい。そんな、陰口が叩かれているのを知っていた。そういう偏狭な日本の社会から脱け出したかった。日本人を憎んだ。私が日本人であるよりもブラジル人でありたいと考えるようになったのは、日本が、私に仕向け悪意の結果である。 どうしても二人を救わなければなら ...

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パナマを越えて=本間剛夫=51

 それと、自殺を罪悪とする彼女らの宗教が最後の最後まで生き伸びる手段を選ばせているのだろう。 私は衛兵所の前に立っていつものように命令受領者であることを申告したあとで、前列の兵長に訊ねた。「きのうの米兵の容体は、どうでありますか」 兵長は筈えず、うしろの中尉をふり向いた。中尉はきのうのことで私を知っている筈だ。「分らん」 中尉は ...

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パナマを越えて=本間剛夫=50

 微かな小さい靴跡は、踏み分けられた葦の間を点々と私の十六号病棟の方に続いていた。その方向から、三角山に登って行ったのだろうと判断したが、足跡はそこで絶えていた。 起床までまだ三十分はある。わたしは小経に出、三浦軍曹の個室の前を注意深く通りぬけ寝床にもぐり込んだ。 助ける、といって、どんな方法があるだろう―私は考え続けた。細谷と ...

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パナマを越えて=本間剛夫=49

         第二部                  1          夜に入るとともに爆撃は止んで、濠の中は天井から落ちる水滴のほかには何の物音もしない地底の静寂が始まっていた。 眼をとじると、ゴム林に墜落した女子航空兵の顔が浮んだ。上野上等兵と私を襲った憎むべき敵であるにも拘らず、私にはそれほどの憎悪の念は湧かなか ...

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パナマを越えて=本間剛夫=48

 私にとっては思いもかけない待遇であった。五十円でも生活は無理ではない。とにかくブラジルに帰る日までの生活が維持できれば、それ以上の望みはない。私は深々と頭を下げた。 統いて「学校の近くに下宿を見つけときましょう」。来月から来て貰うことにして、それまでに「ブラジルに置けるアメリカ系企業の財政的役割」について英文でまとめてきて下さ ...

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