コーチはニヤリと頬をゆがめた。それは今まで一度も見せたことがなかった表情だった。無邪気な人なつこい笑顔だった。 「君は中野学校を知っているかね。知らないだろうね。軍の謀略学校だ。わしはそこで教育を受けた二重国籍の日本軍人だよ。わかるかな。軍人で二重国籍が許されるわけはない。だが、それだからこそ、わしは日本のために好都合に働れた ...
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パナマを越えて=本間剛夫=26
「その頃、アマゾン調査団という日本人たちがボリヴィア国境までやって来たんだ。その団長というのが父の親戚だった。よく調べてくれたもんだよ。わしは、その団長に連れられて日本へ来た。その団長をわしは父と呼ぶようになって、日本の学校を出た。……まあそんなところだよ……」 私は東京練馬にある、日本力行会の図書室で「秘露棉花移民史」でそのこ ...
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コーチは突然、暫くこの町に滞在すると意外なことをいった。何故? と質ねたが、コーチは急に用事ができたのだ、という。得体の知れないコーチのことなので深くは尋ねなかったが、コーチの方から説明した。「ここは、国際スパイの拠点だ。世界の女が集められているんだ。敵国の情報を掴むには、その国内よりも、隣国での方が正確なんだ。わしは仕事上、 ...
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数十基も並んだ石油タンクの上部に、大きな蝙蝠が描かれ、その下にやはり活字体の太文字で社名があった。タンクの正面から見上げると、その米国系石油会社の名称の大きな文字は、エンセナーダの市民を威嚇しているようだ。手入れの行き届いた敷地一杯に広がる芝生に、テニスコートとプールが見える。土と砂のデコボコ道路と鉄条網が隔てる二つの世界の格 ...
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「私は中南米の人間に、もっと魚を食べさせたい。特に海のないボリヴィアのチチカカ湖を大きな漁場にして、アンデス人に食わせる。チチカカを鱒の大養殖場にする。君、ボリヴィア人の平均年齢は三十六才だ。動物蛋白がとれないからだよ。アンデスのチンチラは世界一の防寒服になるが、その肉は知れたもんだ。いくら毛質がいいからといって、毛は食べられ ...
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もう、そろそろ夕食の時間だ。時計を見て、ゆっくり食堂へ向かった。食堂の窓が明るく、薄いカーテンを通して二人の影が見えた。 コーチは私の素姓も胴巻きのことも知っているらしい。ボリヴィア人の商人、日本漁船の船長である彼が自分の船を離れて、この貨物船に乗っているのだから、日本人に違いない。 それなら、なぜボリヴィア人だというのか。疑 ...
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7 日光丸は給油を終えて第一閘門に入った。うしろの閘門が閉じると、両壁に貼りついている無数の鉄パイプから注ぎ込まれる水とガツン湖から引かれた噴水式ポンプの水が噴き出て、見る間に第一と第二の閘門の水面が一致する。すると第二閘門と次の閘門の扉が開いて日光丸はその中に入る。 二光丸が進むのは、両岸を進む小型電車のよう ...
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これらの日本漁船は決まった基地はあるが、魚群を求めて北部ブラジルからギアナ、ヴェネズエラ海岸を含む大アンチル列島を曳游(えいゆう)しながら獲物を母船運ぶか、最寄の港で処分する極めて自由な海の放浪を続けるものだったから、一度日本を出ると交替が来るまでは、一年、二年と故郷の土を踏むことが出来ない。 ところで、コーチはどこから来たの ...
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その船も貨物船で日光丸よりも一回り小さく六千トン級らしかった。私は奇妙な感じにかられた。外国の領域で敵、味方が、何のわだかまりもなく、順番を待っている。此れが現実なのか。現実に厳然として実在する光景なのか。戦火を交えているお互いの国の、おそらく敵も軍需物資を満載している船の船員同士が、全く自然に眼前にある。その矛盾、不合理が、 ...
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それにしても越後、甲州両雄の決戦を彼は米国が日本の宿敵となぞらえているのだろうか。長蛇を逸しないための綿密な計画を進めることを、彼自身にいいきかせているのだろうか。彼は断じてボリヴィァ人ではない。以前、船長に彼を誤解していたことを告白したが、今まで、彼の巧みな虚像に踊らされてきた自分が憐れだった。 しかし、彼が故意に、なぜ私に ...
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