花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香

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     訪日をしたときに「二世ですか」とよく言われる。いつのまにか、多少変った日本人になってしまったと言える。性格にもよるが大陸に四十一年住めば、人生観が太くなるのは当然に違いない。  小南ミヨ子女史の送り

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     「それで、しばらく落ち着いていたんだけれど、また姑と喧嘩。また家を出て、また戻ってと彼女は大きく笑い、またお金を使うために土地を買って」 「で、その度に土地を増やしたの?」 「そうなのよ」と彼女は大

  • 花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=63

     サンパウロの街で、一人でも多くの美顔術のお客が欲しいと歩きつづけている頃、彼女はパラグアイの耕地で、孤軍奮戦していたことが、移住して八~九年してから分かった。彼女が、 「サンパウロ見物に来たわよ」と

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     一九六〇年~七〇年代の元、花の駐在員夫人に、 「蚤だったのかしら、サンパウロからニューヨーク間でモドモドして困ったわ」と言えば絶句してしまった。一九六・七〇年代に飛行機に乗りブラジルと日本を往復でき

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     それゆえジョアキン・ゲーデスの看板を揚げて工事が始まったのだが、大家ジョアキン氏は大邸宅ばかり造っていたから、 「こんな小さな家は始めてだ」と言ったらしい。しかも、その時の持ち金では、家の玄関と裏口

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     その友人たちも、画家仲間や安定した生活をしているコロニアの家庭人が多く、この頃の男たちの唯一の娯楽であるマージャンのメンバーとして呼んでもらい、家庭料理もたびたび口にしたそうだ。独身であることを楽し

  • 花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=59

    (三)は、武田さんに勧められて半年後のこと、武田さんから紹介された三菱商事の奥様方の紹介で、一九六八年五月に結婚することになった。今まで思いもしなかったが、この文章を書きはじめてみたら、すべて武田さん

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     コチア青年の花嫁たちのように耐えて夫婦で築きあげようというのではなく、チャタレイ夫人まがいのデッチ上げの不倫を、夫の目に触れるように書き置き、 「あなたは契約移住者としての義務があり、拘束され困って

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     「友達になるなら、弁護士と医者を」ともよく聞いた。その次に勧めたのが経済学科と建築科だったようである。 ウルグアイで嫁入りに失敗して、ブラジルに来たばかりの私には、次々に縁談が持ち込まれたが、花婿と

  • 花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=56

     「村に、も一人花嫁がいたが、こちらは落ち着いて邸宅を建てるまで頑張った。ユリさんも名前ぐらいは聞いたことがあるだろうよ、日本の大きな短歌の賞をもらったこともある人よ」と結んだ。  この夜、奥地へ農機

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